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この神社は、垂仁天皇・弥生時代に仁品王がこの地に移住、伊弉冉尊を祀ったのが始まりだそうですが、

その後はこの地も安曇族の支配となつた様です。 

  平安時代末期から伊勢神宮御領・仁科御厨を本拠とした仁科氏が勢力を増しこの地を支配し、

祖先神の仁品王と后の妹耶姫を合祀し、鎌倉時代に、

仁科盛遠宿禰が熊野権現・那智大社の若一王子を勧請して若一王子神社となったのだそうです。 

  室町時代には、信濃国司・小笠原氏の配下になった事もあった様です。  

 三重塔・県宝は江戸時代中期に、木食山居の勧進により、

大町の宮大工・金原又七・作助によって建てられたものだそうです。

複雑な斗栱。      まずは参拝。  

 拝殿は昭和50年・伊勢神宮遷宮の時、旧社殿の一部を移築したものだそうです。

本殿・国重文は戦国末期に仁科盛康によって建てられたものだそうで、

江戸時代初期に松本城主・水野出羽守源忠職の援助により、

大町の宮大工・四代目金原周防定兼によって大改修がおこなわれ、

昭和十年に再度解体修理がおこなわれたそうです。

柱には何故か松皮菱が、小笠原氏と何か関連あるのかな。

   
 
   

観音堂・市指定文化財も江戸中期に金原又七・作助によって造られたものだそうです。 

 本尊は、若一王子の本地仏である十一面観音が祀られているそうです。  

明治の廃仏毀釈のおりには、本尊の十一面観音や仏教関連のものを燃やして、建物は残したのではないかとの事でした。

麻倉ノスタルジアフェア:明治のしつらえ展

時間になつたので、麻倉に向かいます。  

麻倉は裏の方は、戦時中に空襲よけに塗られた黒壁が残っていましたが、

入口の方は窓付きですっかりリニューアルされていました。

館内では、本日当番の麻倉プロジェクトマネージャーの北原さんが我々を案内して下さいました。 

  ここ大町は、麻の集散地でもあり麻倉が町の中に残っていたのを、

美麻の木工作家・小田氏が麻倉の職人の仕事にほれ込み、これは工芸の原点だとして、

ここを工芸家仲間の作品発表やワークショップの場とし街の活性化をはかりたいということで、

3年前に麻倉プロジェクト推進の会を設立したのが始まりだそうです。 

 この麻倉は、酒造・市野屋商店(福島家)さんが、明治29年に豪商・伊藤家から購入したものだそうです。 

 二階の二の倉に江戸末期から明治のはじめにかけての食器が、保存状態も良く保管されていたのを、

オーナーの福島さんに相談して、明治のしつらえ展として公開したのだそうです。

今回展示したのは、輪島塗の食器が主で、明治の漆は質も良く、

日本の工芸を後世に残すべく、技術の継承もしていきたいとの事でした。

しつらえ展は二階で行われていました。

品物はまだ鑑定が済んでいないそうで、鑑定しないで身近に見てもらいたいとの事でした。 

一階は、地元工芸家の方達のワークショップになっていました。

今日説明して下さった北原さんのトールペイント作品も展示されていました。   

ちょっといっぷく:大王わさび農場

昼食は、午後の見学コースとなる安曇野まで戻って、

大王わさび農場のレストランでいただく事になりました。

いただくのは、本わさび丼。   まずその前に、ワサビビールで乾杯。 

 色はワサビの色をしていましたが、香も味もビールそのもの。

NHKドラマひまわりのセットもすっかり取り払われ、セットの場所には看板が立っていました。

最後は、ワサビソフトで締め。

井口喜源治記念館:

今回は、安曇野の文化を学ぶにあたり、近代教育と文化の源となった安曇野の教育者井口喜源治氏について学ぼうと

横山先生の推薦もあり、井口喜源治記念館を訪れる事になりました。 

 しかし、生憎と木曜日は休館だったそうですが、

諏訪湖畔病院の理事長の井口さんの紹介で特別に見せていただける事になったそうです。 

 井口喜源治氏は明治時代から昭和の初めにかけて、私塾・研成義塾を起こし、

西洋の文化とその基となるキリスト教の精神をベースとした教育に生涯を捧げた人物だそうです。 

 財政的には、その考えに同調した民権運動家の臼井喜代氏や相馬愛蔵氏等の援助があったそうです。 

 自由と独立、個性を伸ばす人格教育は、信州教育の基にもなっているのだそうです。

館長の林さんもわざわざおいで頂いて、喜源治氏の活動や、それを取り巻く人物、記念館の事等説明して下さいました。 

  教え子達は700名を超えるそうで、シアトルに移住した人も70名以上の方が居られるそうです。 

 記念館は、昭和44年に、弟子達の集まる場所として建てられたものだそうで、

クリスマス会は塾の創立以来、戦時中も含め続けられてきたそうで、110回を超えたそうです。 

  説明には、館を運営しておられる喜源治氏の四男のお孫さん他2名の方もおいで頂き、

いろいろと説明して下さいました。

相馬愛蔵氏の妻・黒光さんが塾に寄付したオルガン。 

 国内で2。番目に古いものだそうです。 

 オルガンの上には、碌山の思いの人でもあった、黒光さんとインド独立運動の首領ビバリー・ボーーズ氏と結婚し、

若くして亡くなった長女・俊子さんの写真が飾られていました。

今回紹介いただいた理事長さんのおられる諏訪湖畔病院は、

医療法人研成会で井口喜源治氏の長男・倫太郎氏が開設した病院で、研成会は研成義塾から名付けたものだそうです。 

  そんな身近な所にも、研成義塾の心が根づいているのを知りました。

 
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