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小野家住宅の向かいに、小野光賢・光景記念館がありました。

この民家までが光賢氏の住宅でしょうか。   大きな住宅です。 

   小野光賢氏は、小野村の名主の息子だそうで、幕末に横浜で貿易業を営み、

横浜の町名主も務めていたそうで、横浜の草創期に尽力し、横浜が市になった時は名主なので、

副市長も務めたたそうですか、引退後は横浜村も寄付しここに住んだのだそうです。 

 幕末の勝海舟、山岡鉄舟とも親交深く、色んな資料も資料館には残っているそうです。

  資料館は申し込めば、年に何回かは見れるそうです。  

 息子の光景氏の方は、横浜の近代都市経営に大きな足跡を残した人だそうで、

地元には小野駅、学校、図書館、病院に私財を投じた人だそうです。 

   

記念館の隣には、江戸末期創業の小野酒造があります。 

   霧訪山の伏流水から造られる酒だそうで、なかなか手に入らないとか。  

 看板の夜明け前の文字は藤村記念館の初代館長の筆によるものだとか。 

 ここ枝垂れ栗入り口を曲がって、いよいよ小野峠へと旧中仙道を進みます。 

小野公園の紅葉はまだまだ見頃。  

 小野公園は、光景氏の寿像を建てた時に付近を公園にしたものだそうです。

しばらく行くと、装った山の良く見える所に出ます。

  この辺りは、夜景のビューポイントでもあるそうです。 

 装った山の中に所々、茶色のケヤキが見えます。

   今年はこのあたりは、ヤノナミガタチビタマムシの食害によるものだそうで、

枯れたわけではなく23年で回復するそうです。

刈り入れの済んだ蕎麦畑。   なかなかいい色です。

この辺りから旧道に入り、いよいよ秋の自然観察教室の始まりです。

大きな実のキカラスウリ。 ツヅラフジ。

形の素敵なツクバネ。 

柿の様なマタタビ。  渋い色のウルシ。
ワニグチに似たミツバウツギ。  
色白水:  

がて色白水に到着。  昔からこの水で顔を洗うと色白の美人になると言われているそうです。

  小野にあるので、小野小町にでもあやかって名前が付いたのでしょうか。 

 ちなみに小野小町は秋田出身説が有力だとか。  

 皆さん色白美人ぞろいなので、顔は洗わず飲んでおられました。  

 飲んだらお腹の中も綺麗になるかな。 

楡沢の一里塚:

江戸から58里の一里塚、初期中山道に残る三っの一里塚のうちの一っで、

二っの山が残る貴重なものであり町の指定史跡になっているそうです。 

  一里塚の上に腰を下ろし、先生に大久保長安・一里塚の話しをして頂きました。 

 一里塚には木陰で旅人が休息出来る様、江戸に向かって右にケヤキ左には松・杉・桜等が植えられたそうです。 

 この一里塚の右には、木は残って居ませんでしたが、左には松が残っていました。

沓掛石:

二つ目の溜池と道路に挟まれて、沓掛石がありました。  

 日本武尊が東征の帰りに、ここでわらじの紐を締め直した所だそうで、石の上の水が絶えると雨が降るそうです。  

 
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