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第百二十七回自然と歴史探訪[初期中山道を歩く・その2] |
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小野宿: |
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今日の天気は、午後から崩れるとかでしたが、出発した時はまだ青空もみえていました。 今回は、前々回・第125回に行った初期中仙道の残りを歩こうということです。 この前は、塩尻側にある小野の小野神社で旅を終えましたが、 今回は手前の辰野側の小野にある小野宿からのスタートとなりました。 問屋場跡の碑のある所でバスを降りて、見学のスタートです。 小野宿には、趣のある建物が何軒か残っていますが、 通りの三河と信州を結ぶ三州街道が今も現役で国道153号線として活躍しており、車をよけながらの見学となりました。 小野宿の問屋は、ここで庄屋をやっていた小野家が、初期中山道が廃止されて間もなく始めたものだそうです。 このあたりも安政の大火で焼失した様で、現在そこに建っているのは、武家屋敷の倉澤家。 倉澤家は、どんな役割の家だったかは不明ですが、ここが飯田藩と松本藩の境でもあり、 問屋の近くには、穀留番所というのも有ったそうですから、この近辺に住居があったのでしょうか。
本来ここに有ったものか、後に移築されたものかもちょっと興味ある所です。 問屋場跡に高札場が残っていました。 高札場は幕府や領主が決めた法度・掟書き等を掲げておく場所で、 1月1日には村長がここで、おふれを出したそうです。 下諏訪にも有ったそうですが、今は無くなってしまい、その先の蔦木には高札場が残っているそうです。 こちらも、明治か大正時代のちょっとレトロな建物(郵便局かな)の向こうに、 本棟造りの大きな建物がありました。 小野宿問屋・旧小野家住宅だそうで、安政の大火後に建てられたものだそうです。 小野は、飯田藩と松本藩に二分されていたので、二っの問屋があったそうです。 こちらは飯田藩側の問屋と言う事でしょうか。 建物は本陣的役割も有った様で間口十間半の大きな建物でした。 ここの本棟造りは、松本平の本棟造りと違い正面に庇が無いのが特徴だそうです。 県宝に指定されているそうで、毎月第2日曜日と、4・7・11月の春・夏・秋の三回の特別公開日があるそうです。 今日は残念ながら中を見る事は出来ませんでした。 屋根には、雀踊りと立派な縣魚がありました。 式台には、今年の御柱に使われた物だと思われますが、御幣がのっていました。
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