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米子瀧山威徳院不動寺奥之院不動堂:真言宗豊山派 | |
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元々は、このあたりは妙徳山の白山信仰、奇妙山の念仏信仰、菅平四阿山の熊野信仰の 山岳修験道の地であったそうで、右の不動瀧と左の権現瀧の両方の瀧を御神体としていたものだそうです。 ここ米子不動尊の本坊は麓にあって、奈良時代の僧行基によって開山されたそうですが、 後に上杉謙信が川中島第四次合戦の帰りに、ここ奥之院に足利義輝拝領の不動妙王を 安置したのが始まりだそうで、成田、菅谷(新潟)とあわせた日本三大不動尊の一つだそうです。 本尊の不動尊は、春6月14日には本坊から、お山登りと言うことで人の背に背負われて ここにやって来るそうで、又9月14日にはお山下りという事で本坊へと戻られるそうです。 という事で、今はここには居られない様です。 お堂は江戸時代のもの、不動尊は鎌倉初期の作だそうで、いずれも市の文化財に指定されているそうです。 |
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御堂の前には二体の石仏が立っていました。 こちらも筋彫りの石仏でしたが、 不動明王の脇侍なら向かって左が矜迦羅童子、右が制叱迦童子かもしれません。 今日は先生が居られないのでわかりません。 |
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会長の音頭で一同御参り、今日の無事を祈ります。 裏のお墓の前に面白い形の石灯篭がありました。 江戸時代のものだそうです。 ここからは不動滝の滝壷へと続く道があります。 不動滝・落差85m。 |
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権現滝。 黒滝の方は落差90mあるそうです。 皆さん、その迫力にしばしうっとり。 ここは修行の為に、滝壺へと道がつづいています。 この滝は、四阿火山のカルデラの、板状、柱状摂理の断崖に出来たものだそうで、 日本の滝百選にも指定されているそうです。 十分に不動滝を堪能した後で、次の権現滝へと向かいます。 鉱山跡を見ながら進むと、豪快な音とともに権現滝が見えてきます。 不動滝がね白龍の滝・雌滝とされるのに対して、こちらは黒龍の滝・雄滝とされ 両者合わせて夫婦滝とも言われているそうです。 権現滝は落差 75m水量も多そうです。 ここからはちょっと急な下りになります。 道には、修験道には似合わず、ちょつと無粋ですがしつかりした手すりが出来ていました。 観光道路との違いでしようか。
だいこくばしを渡ると、広い鉱山跡へと続く道にでます。
今度は対岸に滝を見ながらの道中になりますが、今日は天気が良すぎてのちょうど昼下がり 、強い逆光で滝はあまり良く見えません。 坂の途中では、ポカポカ陽気で蜘蛛の巣立ちも見られました。 |
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米子鉱山跡: |
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坂を上った所には、広い平地が開けていました。 米子鉱山の跡地だそうです。 硫黄鉱山だそうで、江戸時代から昭和35年まで、採掘が続いたそうです。 この平らにはかって1500人もの人が住んでいたそうで、社宅、学校もあつたそうです。 鉱山から、須坂の駅まで14Kmの索道が掛けられ、物資の運搬がされたそうです。 日本の滝百選の標柱の所で、最後の滝を眺めて山を下ります。 |
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ちょっといっぷく: |
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昼食は、タクシーの乗り継ぎ場所でもある、市営の日帰り温泉・湯っ蔵んどでいただきました。 時間はちょっとおして2時近くなりましたがゆっくりといただくことが出来ました。 ほどよく空いたお腹には、結構ボリュウムのありそうな弁当も丁度良く、しっかりと完食。 昼食の後は、折角須坂まで来ているということで、豪商の館・田中本家博物館を見学することになりました。 |
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