|
|
2/3 |
|
|
|
素敵なたたずまいの本堂ですが、近々改修工事の為取り壊されるとか、ちょっと勿体無い感じもします。 境内の文殊稲荷社、脇の枝垂桜が見事です。 |
|
高木津島神社: |
|
|
|
次に向かったのは津島神社です。 狭い甲州街道を下諏訪の法へ戻ります。
津島神社は、江戸時代初期に天王信仰の流れをくむ、愛知県津島市の津島神社の分社したもので、 村の産土神として創建されたものだそうです。 奥の本殿は、鞘堂の中にありました。 明治41年の村社統合で、山の神、秋葉様、天狗社も合わせ祀られているのだそうです。 祭神の素盞鳴尊は、牛頭天王とも呼ばれ、仏教では薬師如来とされる神で、 以前境内には、拝殿、神楽殿、薬師堂があったそうですが、薬師堂は大正になって他へ移築されたそうです。 舞屋(神楽殿)。 楢柏、450年の大木・諏訪一番の木。 神社脇の山には、三山大神社がありました。 神社とあるのをみると、この地にも出羽三山信仰があったのでしょうか。 |
|
柿蔭山房:島木赤彦住居 |
|
![]() |
|
神社を出ると、鎌倉街道の標識がありました。 この近くに、歌人・島木赤彦の住居があるということで見学することになりました。 柿蔭山房への道は新しく、綺麗に整備されていました。 樹齢300年の赤松。 町指定文化財になっているそうです。 柿蔭山房は、アララギ派の明治の歌人・島木赤彦の住居だそうで、 赤彦が柿が好きでこのように名前をつけたのだそうです。 赤彦は茅野の高島藩士塚原家の四男・俊彦として生まれたそうですが、 同じ高島藩士の久保田家の養子となりこの地・高木に住んだのだそうです。 最初は長女のうたさんと結婚したそうですが、 なくなり義妹のふじの(歌人・不二子)と結婚したのだそうです。 建物は武家屋敷の造りで、町の文化財に指定されているそうです。 上座敷・最初は赤彦の書斎として使われていたそうです。 山房の御主人が裏にちょうど居られた様で、建物の中を案内していただきました。 |
|
目次へ・・・・次ページ・・・・戻る | |
|