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沢の石造物群:沢下辻の石幢 |
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沢のバス停留所の所に幾つもの石造が並んでいました。 その中に、沢下の辻の石幢と呼ばれる灯篭がありました。 江戸時代初期の岡谷市では一番古いものだそうです。 六角の面の中には六地蔵が彫られているものが入っているそうで、一つ一つの窓の形がまた素敵でした。 このあたりは、昔の岡谷の元となる場所だったそうです |
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新倉十五社: |
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丸山の公会所にマイクロバスを止めて十五社の見学に向かいます。 十五社は現在9社あるそうで、そのうちの4社が岡谷(岡谷区、間下、今井、新倉)にあるそうです。 (茅野には4社、富士見1社) 祭神は、建御名方命、八坂刀売命、と13人の御子神が祀られているそうです。 建御名方命には全部で22人の子供が居られたそうなので、 この13人は諏訪神の八坂刀売命との間の御子神達かな。 神紋の梶の葉の足は5本、ここらが下の諏訪の地であったことが伺えます。 境内にケンポナシの木が5本ありました。 樹齢は約300年だとか、市の天然記念物だそうです。 先生がここらにウラシマソウがあるはずという事で、探したところ境内の裏山に保護された 幾本かがみつかりました。 花はマムシグサに似ているが、先に釣り糸の様な長い弦の様なものが出来るそうです。 |
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帰り道、まだちょっと時間があるということで、最後に三沢の一里塚を見に行きました。
ここ三沢には、木曽にぬける最初の中山道があった所だそうで、 家康の命を受けて勘定奉行・大久保長安が江戸の町作りの用材を木曽から運ぶために、 近道の中山道小野通りの開削を行った道だそうです。 もっとも、勝頼が新府城築城の折の用材の運搬にもこの道が使われたそうです。 一里塚は、大久保長安が総奉行となって造ったものだそうで、 ここ三沢の一里塚は五十七里塚にあたるそうです。 三沢―小野峠(三沢峠)―牛首峠―木曽の桜沢へと抜ける道は、難路であり民家も少なかったので、 長安の死後は中山道は塩尻峠越えに変わったのだそうです。 |
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今日いただいてきた新倉観音堂のお札。 前回予定の北八ヶ岳の池めぐりは、雨の為残念ながら美術館めぐりに変更になりましたが、 今回は雨にも合わず無事にマリオさんのご馳走にありつくことができました。 前回の上の諏訪、今回の下の諏訪と歴史ロマン満載の場所がまだ残されている事と、 そこへと案内して下さった横山先生に感謝一杯の一日でした。 横山先生が復刻された新倉毘沙門堂のお札。 新倉のあたりが下の諏訪だったことが分かります。 |
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