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鮎沢・阿弥陀堂:米番所 |
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次に向かうのは、鮎沢の諏訪神社です。 駒沢の部落を下って、国道に出て川岸の駅へと向かいます。 駅を過ぎて、川岸の橋の手前を右に曲がり細い道を山の方へ向かいます。 ちょっと行った所に阿弥陀堂がありました。 ここはかって、上伊那からの五穀の流通を監視する番所だったそうです。 鮎沢はかつては、川に鮎がのぼっていた事があつたそうです。 |
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鮎沢・諏訪神社: |
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神社は、高速道路の下を過ぎてさらに上った所に有りました。 まずは、お参りして神社の奥へと向かいます。 鞘堂を支える様に、大きなモミの木がありました。 諏訪のあたりで一番大きな木だそうです。 境内にはこの他に数本大きな、ウラジロモミの大木がありました。 |
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高尾山城: |
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対岸の山は、オダコ、メダコと言われメダコの方には、三沢氏の高尾城があつた所だそうです。 三沢氏は下社大祝の金刺氏(神武天皇の末裔)の分流だそうで、城は小笠原家と信玄の塩尻峠の戦い の時に壊され、その後は狼煙台として使われたこともあったそうです。 |
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洩矢神社: | |
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次に訪れたのは、橋原にある洩矢神社です。 ここは、諏訪先住の国津神の洩矢神と出雲の建御名方命が戦った最後の砦のあった所だそうです。 建御名方命は、対岸の藤島神社の所で藤の枝で、洩矢神は鉄の輪を持って戦ったが、敗れてしまったそうです。 神紋は桑の葉だそうです。 洩矢神の娘・多満留姫は建御名方命の子・出早雄命に嫁ぎ、男子の方は守矢家として、 代々諏訪の神長官を務めてきたのだそうです。 |
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びったら橋: |
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最後に訪れたのは、現在の橋原橋の所に有ったとされる「びったら橋」です。 江戸時代の諏訪藩では、諏訪湖の排水を妨げる橋は作らせないと言うことで、 春の彼岸から秋の彼岸までは舟で天竜川を渡らせたそうです。 比較的水量の少ないその他の季節は、石に板を並べ、大水になっても板が流れぬ様に石に結び、 その上を通る様にしたのだそうです。 人が渡る時、重みで水面をたたく音がビタビタとしたので、この橋をびったら橋と呼んだそうです。 昼食は、マリオさんで春の味覚一杯の料理をいただきました。 まずはウーロン茶で乾杯。 先ほど訪れた、昌福寺の話、月初めに出かけたネパールの土産話等に花をさかせ、 今日の旅も無事に終わることが出来ました。 |
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