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大平山安国寺:臨済宗妙心寺派 |
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本堂。 午後からは、本日お目当ての安国寺へと向かいました。 途中、ちょっと通り過ぎて古川の方へ行ってしまいましたが、無事に到着です。 お寺のあるのは国府町という所だそうで、安国寺の建った室町の頃はここらは 、国府だったのでしょうか。 奈良時代の国分寺が高山にあるので、何時のころか国府がうつった事でもあったのでしょうか、 そのあたりはわかりません。 |
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本堂は、戦国時代に焼失したのを、江戸になって金森氏によって再興されたものだそうです。 まず本堂に上げていただき、堀住職に安国寺の説明をしていただきます。 安国寺は足利尊氏が戦乱の犠牲の上になつた室町幕府が、長く続く様に、 天龍寺の夢窓国師の勧めにより国ごとに一寺一塔(安国寺、利生塔)を造ったのだそうです。 当時は、66の国と2っの島の68ケ所に造られたそうですが、現在残っているのは、45寺だそうです。 安国寺は臨済五山派開山の夢窓疎石にちなんで、臨済宗としたそうで、 ここ飛騨の安国寺は、以前からあった少林寺を改めて安国寺としたそうです。 信濃の安国寺は、茅野の宮川にあり、これも戦火で焼失し小さくなつてしまったそうです。 (利生塔の方は、現存するのはさらに少なく、八坂の塔のみになってしまったそうです。) 安国寺といえば、一休さんの幼少の頃修行したのも安国寺だそうです。 安国寺の御本尊は、釈迦三尊で左に六牙の白像に乗った普賢菩薩、 右に獅子に乗った文殊菩薩を脇侍としています。 いずれも、木心乾漆仏で室町時代の仏師・駿河法眼定範によるもので、 県重要文化財にも指定されているそうです。 一渡り説明をお聞きした後で、国宝の経蔵の方へ案内していただきました。 経蔵は、本堂裏の一段高い場所に建っていました。 |
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経蔵は、室町初期に建てられたものだそうで、開山堂とともに戦火を免れたものだそうです。 建物は一重裳階付きの入母屋造りで、組物も少なく大疎垂木ではね上がった杮葺の屋根を支えた姿は、 質素にみえますが、いかにも趣きのある建物でした。 欄間は弓張欄間で、雪や花粉も入ってくるので大変との事でした。 国宝の経蔵は他に、法隆寺、唐招提寺にあるそうです。 八角経輪。 経輪は妙心寺、増上寺、三井寺等にもあるそうですが、 一番古いのがここの経輪だそうです。 善光寺にもあるそうです。 先生によると、小さいが立川流の作りの経輪が諏訪の温泉寺にもあるそうです。 数年前までは、回転したそうですが、今は軸がずれたのか回らなくなつたそうです。 それで、中に入れていただきぐるりと回りながら、上の欄間の説明をしていただきました。 正面の像は、中国の三体佛だそうでズダを下げた修行僧がいます。 像は日本のものだそうです。 中の経典は一切経で5397巻あつたそうですが、子供の遊び場にもなっていた事があった様で、 今あるのは2200数巻だそうす。 経典は木版経本で、折り目がいたんでおり開けないそうです。 中国杭州大普寧寺からもたらされたものだそうです。 仏像前の三牌は、中央が天皇、右が檀家、左が災難除けのものだそうです。 |
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開山堂。 弁天堂の様に池に囲まれているのは、開山堂で開山瑞巌和尚の像が祀られているそうです。 像は、国の重要文化財に指定されているそうです。 薬師堂。 古そうな宝篋印塔がありました。 前には足利家の家紋のついた花立がありましたが、こちらは新しいものだそうです。 帰りは、横山先生お薦めの豆腐屋さん(川瀬豆腐店)によりました。 実は、帰りまでに品物がなくなると心配で行きに様子を聞いておいたところです。 帰りはバスで店の前まで横付け、皆さん豆腐に揚げを買っておられました。 帰って、塩でいただいたところ、なかなかの美味でした。 |
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最後は、岡谷の唐櫃石古墳の光苔が綺麗だということで、急遽たちよることになりました。 入り口の格子も新しくなっていましたが、光苔は丁度梅雨時で湿度も良いのか、 ベンガラ色の石壁とマッチしてステキに光っていました。 今日の天候はいまいちでしたが、今回も色々と見所の多い旅となりました。 |
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