戦争の爪あとを巡って>鹿児島県知覧(99年2月訪問)

若者は二度と帰ってこなかった・・・

知覧特攻観音

 鹿児島県薩摩半島のまんなかにある小さな町・知覧は、戦争末期の特攻隊出撃基地があったところです。ここから数多くの若者たちが「片道切符」の飛行機に乗りこみ、南の海へと出撃していったのです。こうした若者の御霊を慰め、平和への祈りを込めて作られたのが知覧特攻観音であり、特攻隊の歴史を後世に伝えるべく作られたのが特攻平和会館なのです。
 私が訪れた日も、たくさんの観光客でにぎわっていました。最初は観光気分とか、昔年の思い出を振り返る程度で来館した人たちも、会館内にある無数の辞世、別れの言葉、遺書にいつしか目頭を熱くするのであります。ここでは、あえて遺書の内容については触れません。ぜひ見に行って、その目で一つひとつ確かめてください。

 

特攻平和会館

 特攻平和会館(写真右)のなかで、私がもっとも印象に残ったのが一台のピアノです。ドイツ製の名器だそうで、もともとは知覧から遠く離れた鳥栖の学校にあったそうです。ある日、特攻を翌日に控えた音楽学校出身の若者が「この名器で演奏したいから」と、わざわざ訪ねてきたといいます。そのとき、彼はベートーベンの名曲「月光」を生徒たちに弾いて聴かせました。
 このエピソードを胸に「月光」を聴いて、私は涙が止まらなくなりました。平和な時代の今、音楽が自由に楽しめることの喜び。そして、本当は音楽を一生続けていきたかったのに、時代がそうさせてくれなかった音楽家の卵がいたことも、決して忘れてはならないと思います。

 

 
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