仏陀は、クシナガラ(インド)にある沙羅双樹の間に北を枕にして横たえ、彼岸の涅槃に入る。

 両端を緑取るのは沙羅双樹で、その間の中央に置かれた牀に右腋を下にして横臥するのが仏陀である。枕元と足元のそばには仏弟子、牀の前には涅槃の直前に説法を聴き、三宝に帰依して最後の仏弟子となったスバドラが左右で表され結跏趺坐(けっかふざ)している。向かって左側は頭頂に髷(まげ)をとり、この場に来たばかりの姿である。一方の右側は剃髪して禅定印(ぜんじょういん)を結んでおり、得度を受けて阿羅漢(あらかん)の位に達したスバドラと考えられる。二体のスバドラを描かれるのは珍しい。背後には嘆き悲しむクシナガラの住人・マルラ族の男たちと、その間には金剛杵を手にした執金剛をうかがうことができる。

悟りを開いた仏陀がインドの鹿野苑(サールナート)で、はじめて説法した場面。

台座前の車輪については仏陀の説いた教え、すなわち仏法を象徴する法輪であり、これを転じることで説法を表す。この車輪は本来、太陽神の乗る戦車の車輪で、これを転じることは仏陀の教えが太陽神が東の空に昇るごとく、世界をあまねく光明と秩序をもたらすことを意味する。鹿は鹿野苑、剃髪した者たちは仏弟子となった五比丘たちである。上段には降魔成道図(悟りを開く場面)の敗北した魔衆(マーラ)が見える。

パキスタン
2-3世紀
灰色片岩
34.5×幅49. 0cm

 釈迦牟尼が成道後、どのような容器で食事を摂ろうかと思案していることを感知した四天王が、托鉢用の鉢を献上した。中央に釈迦牟尼(仏陀)が大きく表され、その左右に四天王が配される。向かって右の二人、左端の天王は手に鉢を持ち、ターバンを巻いたインド人王侯の姿である。残る天王はクシャーン族王侯の姿で、手に鉢はなく合掌している。すなわち、この異形の天王がまず最初に鉢を捧げたことがわかる。彼の頭部につけられた一対の鳥翼の源流は神々の伝令、霊魂の導師、商業の神ヘルメス神の頭部にある一対の鳥翼である。

 経典の『ラリタヴィスタラ』によれば、東西南北の守護を司る四天王の首領的存在たる毘沙門天(北方の守護神)がまず最初に、続いて東、南、西の守護を司る天王が鉢を差し上げ、その後、釈迦牟尼仏陀が四個の鉢を魔術で一個にしたという。

 太子は人々を四つの苦しみから救う法を求めて愛馬カンタカに跨り、御者のチャンダカを伴に城を出る場面である。太子が馬に跨ると、大地は震動し、十方から神々が現われ彼に敬礼し、その道筋に花を撒き、天上の音楽を奏し、天女たちは出城の太子に敬意を表して讃歌をうたう。神々は城門を開き、都城を眠りでおおい、あらゆる物音を鈍らせる。太子は馬に乗って夜の間に村々を通りすぎる。

 本作の出城図は、まさに城門を出た姿が描かれている。王権を象徴する傘蓋(さんがい/日傘)がうかがえることから、馬上の人が太子であることを示している。彼の後方には、金剛杵を手にした執金剛が配される。馬の蹄の音が響かないように地中から脚を持ち上げているのは、インドの神であるヤクシャである。

 釈迦牟尼は、人生は四つの苦しみ(生老病死)からなると考え、その機縁となったのが「四門出遊」である。経典によれば、太子は城門から馬車を走らせて、最初は東門、次に南門、その次に西門、最後に北門の順に四度の外出を行う。最初は老衰し皺(しわ)だらけで杖をついてよろめく老人に会い、南門をでると汚物にまみれた重病人、西門では担架に載せられた死人、北門を出たときは柔和平静で身を制御した托鉢(たくはつ)僧に出会った。

 本作では、向かって左に腹の腫れた病人、右に腰が曲がり杖をつく老人などを表し、その他の健康な人々と対比して、病と老衰の苦を示す。右側に太子の姿を表した浮彫があったと考えられる。

 頭光背を付けて、眉間には白毫があり、巧みなターバン冠飾を戴く王侯形(クシャトリア)の菩薩像である。本作はその類例から見て、太子が耕された田の虫を鳥がついばむ弱肉強食の光景に衝撃を受け、瞑想に浸ったという「樹下観耕」の場面であろう。眼も半眼であることから瞑想中と考えられる。この出来事は、太子が求道一成道へ向かいはじめるきっかけとなった場面であり、仏伝の一つである。本作のような礼拝対象と思しき単独像も幾つか見ることができる。ちなみに、本像のターバンの飾り結びの正面には、百獣の王であるライオンのプロトメ(前躯)を飾られる。

注:クシャトリヤkŞatriya、刹帝利)は、古代インドバラモン教社会におけるヴァルナ (varna) の第2位である王族・武人階級

 高い椅子に坐るのは教師・ヴィシュヴァーミトラで、その横には太子が交脚で腰を掛けながら木板にペンで文字を書いている。経典では、太子は先生の知らない文字まで知っていたと記される。

 太子の木板部分には、当時のガンダーラで使われたカロシュティー文字(右から左へ書く)が刻まれている。彼の上方には習字板を手にした学友、左には墨入れを持った召使いが表わされる。このような木板やペンは、現在でもパキスタンの地方で習字用に使われており、ペンは現地の名で「カラム」といい、ギリシア文化に由来しているのである。

説明

産まれてすぐに7歩歩いて右手で天を指し、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊」と言ったと伝えられている。
生後7日目に母を失い、以後は叔母(実は継母でもある)マハープラジャーパティーに育てられた。アシタ仙人から、「長じて偉大な王になるか、偉大な宗教者になる」との予言をうけたため、王になってほしいと願う父王によって何ひとつ不自由のない王宮の生活があてがわれた。

ルンビニー園で沙羅双樹の一枝をとるマーヤー妃の右脇から太子が誕生する。マーヤーの姿は豊穣の樹精・ヤクシーのポーズを借りている。太子を両手で受けているのはインドの神々の王・インドラ(帝釈天)であり、太子がインドラを優る至高の存在であることがわかる。右端で合掌しているのはブラフマン神(梵天)、マーヤーの左腋を支えるのは妹(後の継母)のマハープラジャーパティー、そして彼らを取り囲むのは神々と天人たちである。


注:ヤクシーについてはシャーラバンジカーを参照乞う。

1. 誕生・灌水
   (付1 マーヤー王妃の夢                              インド博物館、コルカタ
  (付2マーヤー夫人(ぶにん)の里帰り        東京国立博物館、東京
2. 誕生
3. 托胎霊夢・占夢・ルンビニーへ・誕生
  (付3 アシタ仙人の予言                   リートベルク博物館、チューリッヒ
4. 勉学
5. 婚礼
6. 樹下瞑想太子像頭部
7. 四門出遊
8. 出城
   (付4 出城                                           インド博物館、コルカタ
9. 降魔成道
  (付5 乳糜供養                                     関西大学博物館、吹田市
10. 四天王奉鉢
  (付6浮彫「仏鉢供養」・「交脚菩薩像」   東京国立博物館、東京
11. 帝釈窟説法
12. 初転法輪
  (付7初転法輪                                      東京国立博物館、東京
  (付8 カピラ城への帰還                    大英博物館、ロンドン
13. 涅槃図断片
14. 涅槃
15. 納棺
16. 舎利の争奪・分舎利・舎利の運搬
17. 仏舎利の護衛
18. 仏舎利の運搬

 本作は仏伝図の中から二つの場面が見られる。

<誕生>

ルンビニー園でマーヤー妃の右腋から誕生したばかりの太子の姿が見られる。彼女は出産時に沙羅双樹の一枝をとっていたとされるが、ここでは頭の上に沙羅双樹を表すことで、そのことを示そうとしている。太子を受けとめるのは、インドラ神(帝釈天)であり、右端で合掌しているのがブラフマン神(梵天)である。

<灌水>

誕生したばかりの幼い太子に、二人の龍王たちが温・冷の二つの聖水を注いでいる。太子は幼くも凛々しく立つ姿で、頭光が表される。右側の龍王は王侯(クシャトリア)形であり、太子と同様に頭光が付けられ、片手にはバジュラ(金剛杵)を持つ。左側の龍王は祭司(バラモン)形であり、彼にも頭光が付けられる。

パキスタン
2-3世紀
片岩
33.4×幅29.0cm

 経典によれば、仏陀入滅の地・クシナガラ(インド)に住むマルラ族の人々は、仏弟子のアーナンダに訊ね、「世界を支配する帝王の遺体を処理するのと同様な仕方で、遺体を処理した」。遺体を新しい布と打ってほごされた綿で交互に五百重に包んで、鉄の油槽の中に入れ、他の一つの鉄槽で覆ったという。

 本作は、沙羅双樹の間に置かれた牀の上に遺体を収めた棺が置かれ、その周りに右手を挙げて悲しみの仕草を見せる者、合掌する者、うつろな眼差しで払子を手にした者など、最後の別れを惜しむ仏弟子たちを表す。棺の前には燈明が焚かれている。こうした納棺場面の作例は数がきわめて少ない。

パキスタン
2-3世紀
灰色片岩
48.0×幅50. 6cm

パキスタン
1-3世紀
緑泥片岩
58.5×幅24cm

仏伝「初転法輪」
パキスタン・ガンダーラ
片岩
クシャーン朝・23世紀
東京国立博物館

インドラ神と思しき人物

中央に仏鉢供養図,左右に弥勒菩薩交脚坐像一対を表す。成道後の仏陀が樹下に留まっていた時,二人の商人が麦蜜を奉った。四天王からそれぞれ一つずつ鉢を 受け取った仏陀はそれを重ねて一つに合し,二商人よりの麦蜜を受けたという。菩薩像の丸い面貌やずんぐりした体躯,正面性の強い表現から,現アフガニスタン・カーブルの北方,カーピシー地方の制作と考えられる。

画像:「仏鉢供養」・「交脚菩薩像」(ぶっぱつくようこうきゃくぼさつぞう)
片岩
アフガニスタン
51.0 幅136
3-4世紀
矢野鶴子氏寄贈
東京国立博物館

1ラリタヴィスタラ(漢訳普曜経)は、サンスクリット語(梵語)の仏伝(仏陀の伝記)

2ベック著『仏教』岩波文庫の中で、ベックがその論述の多くを負っていたのが、このブッダチャリタとラリタヴィスタラでした。

小型ストゥーパの胴部を荘厳した、石製浮彫の一片。図像は、ほぼ中央部の樹下に頭光をつけ、左手上の鉢に右手を入れた姿態の釈迦が坐し、その左側には 両手で供物を入れた鉢を捧げ持つ2人の女性を、同じく右側には釈迦とほぼ同じ姿態で頭部を欠損した2人の小坐像を表現する。仏教美術における説話には、釈 迦の前世の物語である本生(ほんじょう)と、釈迦の生涯を綴った仏伝(ぶつでん)があるが、本例はおそらく釈迦の苦行の放棄に続くスジャータの「乳糜 (にゅうみ)(ミルク粥)供養」の場面で、成道前後の仏伝諸相の一部であろう。

 場面はボードガヤ(インド)の菩提樹の下、悟りを開かんとするシッダールタ太子を囲む軍勢は、魔衆(マーラ)であり、成道を阻止しようと襲ってくる。太子の右にいて思案する人物は彼の攻略を思い悩む魔王。太子は「過去の多<の生涯にて身を犠牲にしたからこそ、仏陀の位にのぼることができる」と魔衆に言い、その証人として大地の女神を呼び出す。女神の証言により魔衆に勝利し、悟りを開いて仏陀となった。太子の右手は地天を呼び出す触地印(しょくちいん)をとり、この印相で魔衆を降ろしたことから「降魔印」とも言われる。台座前に倒れた魔衆たちは敗北を表している。死を象徴する魔衆に勝利することで、すべての生けるものを救う仏陀となる。

4出城

 パキスタン
 2-4世紀
 灰色片岩
 高48.8×幅33. 5cm

パキスタン
2-4世紀
灰色片岩
29.0×幅26. 0cm

注:耶輸陀羅(やしょだら)

釈迦出家する前、すなわちシッダールタ太子だった時の妃である。一般的な説では、出家以前の釈迦、すなわちガウタマ・シッダールタと結婚して、一子羅睺羅(らごら、ラーフラ、ラゴーラ)を生んだとされる。のち比丘尼(すなわち釈迦の女性の弟子)となった。

パキスタン
2-3 世紀
灰色片岩
19. 8×幅34. 7cm

パキスタン
2-3世紀
灰色片岩
25. 0×巾冨22. 0cm

誕生

ルンビニーへ

占夢

 仏塔の伏鉢鼓銅部を荘厳していた浮彫。上段に洞窟で瞑想する仏陀の坐像を中心にバラモンたちを表し(内容不明)、下段に仏伝図を表す。柱を場面の仕切りにして、右から托胎霊夢、占夢、ルンビニーへ、誕生と続いていく。

パキスタン
2-3世紀
灰色片岩
18.0×幅76.0cm

1. 誕生(たんじょう)灌水(かんすい)

画像:マーヤー王妃の夢
インド博物館、コルカタ

2015/10/30から始まった平山郁夫シルクロード美術館のガンダーラ展に陳列されたガンダーラ彫刻が実に見事だったので、そのなかから仏伝彫刻を抜粋して列挙する。すべてが平山郁夫による蒐集品であると理解される。単品であれば色々あるのだが、仏伝の纏りという観点からすると、これに匹敵するコレクションは日本にはほかに存在しないと思われる。各作品に付した説明文は展覧会場のものである。なお、平山コレクションに含まれていない題材につき、編集者の独断と偏見でいくつかの作品を加えてあります。

付9: 阿難の誘惑 大英博物館

(完)

18. 仏舎利の運搬(ぶっしやりのうんぱん)

パキスタン
2-3世紀
灰色片岩
23.8×幅25. 2cm

17. 仏舎利の護衛

パキスタン
2-3世紀
灰色片岩
25.8×幅45. 4cm

16. 舎利の争奪・分舎利・舎利の運搬

15. 納棺(のうかん)

パキスタン
2-3世紀
灰色片岩
26.9×幅35.2cm

14. 涅槃(ねはん)

13. 涅槃図断片(ねはんずだんぺん)

画像:カピラ城への帰還、1-2世紀、スワット渓谷出土、大英博物館

12. 初転法輪(しょてんほうりん)

拡大画像
 パンチャシカ

11. 帝釈窟説法(たいしゃくくつせっぽう)

6「仏鉢供養」・「交脚菩薩像」東京国立博物館、東京

『大乗仏典13 - ブッダチャリタ(仏陀の生涯)』
中央公論社1974/中公文庫2004
『原始仏典10 - ブッダチャリタ』(講談社1985
『ラリタヴィスタラの研究』外薗 幸一 大東出版社 (1994/11)

パキスタン
2-3世紀
灰色片岩
45.0×幅59. 0cm

10. 四天王奉鉢(してんのうほうはつ)

画像:乳糜(にゅうみ)(ミルク粥)供養
関西大学博物館

ガンダーラ仏伝浮彫(うきぼり)
(パキスタン 紀元34世紀)

5乳糜供養

パキスタン
2-3世紀
灰色片岩
10.5×幅39. 0cm

9. 降魔成道(ごうまじょうどう)

画像:出城
ガンダーラーラ
2世紀
ロリアン・タンガイ遺跡(ペシャワール近辺)
片岩
48 x 54 x 8.6 cm
コルカタ・インド博物館

8. 出城(しゅつじょう)

7. 四門出遊(しもんしゅつゆう)

パキスタン
2-3世紀
灰色片岩
38. 0cm

6. 樹下瞑想太子像頭部(じゅかめいそうたいしぞうとうぶ)

5. 婚礼(こんれい)

4. 勉学(べんがく)

詳細画像:

托胎霊夢

3. 托胎霊夢(たくたいれいむ)占夢(せんむ)ルンビニーへ誕生

パキスタン
2-3世紀
灰色片岩
28. 0×幅32. 0cm

画像順序は次の通り。

仏伝「マーヤー夫人(ぶにん)の里帰り、ルンビニー園での休息」
パキスタン・ガンダーラ
片岩
クシャーン朝・23世紀
東京国立博物館、東京

仏 伝 浮 彫
平山郁夫シルクロード美術館

2015/10/30

 経典では、仏陀の遺体を荼毘に付したのち、その遺骨を(仏舎利)を8つに分配され、これを持ち帰った国はそれを祀るための仏塔を建て、供養したとある。ここでは分配された遺骨を納めた舎利容器を手に帰国する使節の姿を表している。制作された当時、ガンダーラにフタコブラクダがいたことがわかり興味深い。

 本作では仏陀亡き後の場面が幾つか見られる。

<下段・右側>
 仏陀の悲報を聞いた各国の王族たちは、仏舎利の分配を要求し争う。中央のドローナが仲裁に入る。

<下段・中央>
 ドローナがが舎利を八分する場面。ターバンを被る人々は各国の使者たち。

<下段。左側>
 舎利容器を抱えて帰国する使者たち。

<上段>
 天上世界から見守る天人や神々たち。亡き母マーヤーや、弥勒菩薩の姿もうかがえる。

 右手に力な<金剛杵(ヴァジュラ)を握った執金剛が左手を額に当てて悲しみを表していることから、本作は涅槃図の一部であると考えられる。視線の先には、涅槃に入った仏陀像が描かれていたのであろう。執金剛が肌をさらけ出す姿については、裸のヘラクレスの表現から影響を受けている。涅槃の光景に目を背ける女性は、おそらく三十三天に暮らす仏陀の亡き毋・マーヤーと思われる。髪型と腰の垂飾などは、クシャーン族の女性の姿を写しており、頭に飾る被り物はギリシアに起源し、ヘレニズム世界に広まったもので、ガンダーラ美術に登場する女性たちも被っている。二人の背後に沙羅双樹が一本うかがえる。

注:Swat Valley

説明

 これらが進行中に、仏陀の動静の噂が彼の父親である浄飯王(カピラヴァストゥの城主、シュッドーダナ)に届いた。王は息子に九回も使者を遣わし「家に帰れ」と伝えさせたのだが、そのたびに使者達は釈迦の教えに耳を傾け、仏門に帰依し、阿羅漢となり、世俗の事象にたいする興味を失い、息子に家に帰れと願う王の命令を伝えることがなかった。結局、王は王の大臣の一人の息子であり、成長期にあってシッタルダの遊び友達の一人であったカルダイ(迦留陀夷)を送った。ところが彼も他の密使と同じく、僧侶となり、阿羅漢の位を取得した。が、他の使者達とはことなり、彼はシッタルダに「家に帰れ」という浄飯王の要求を伝えることを忘れなかった。この結果、仏陀の開悟のあと、冬の末にこれが実現することとなった。

 カピラ城に到着するや、仏陀と僧伽(そうぎゃ、僧団)はその晩をバニヤン園(ニヤグローダ園)で過ごし、そこに浄飯王とかれの取巻きが会いにやってきた。釈迦族というのは誇り高き武人族であったから、仏陀と彼のみすぼらしい一団は彼らを魅了しなかった。彼らはまだ仏陀のことをたんなる我儘な親族の一人だと考えていた。浄飯王自身は、彼の息子が偉大な精神的な指導者として尊敬されているにもかかわらず、托鉢放浪者となることを喜ばなかった。そこで将来の展望をつけるため、仏陀は一連の魔法をやってみせた。このなかには「二つの魔法」がふくまれていた。「二つの魔法」とは、空中浮遊術と身体から火と水を噴射する術であった。これを見た浄飯王と取巻きは釈迦牟尼・仏陀が単なる苦行者ではないことを悟り、彼に敬意を払うようになった。

8カピラ城への帰還

7初転法輪

 釈迦牟尼(仏陀)は、マガダ国のラージャグリハ(王舎城)に近い洞窟で瞑想にふけていた。インドの神々の王・インドラ神(帝釈天)は、彼の説法を聞きたいと思い、楽人・パンチャシカを使いに出させる。パンチャシカはハープを奏で讃歌をうたい、釈迦牟尼はインドラ神の質問に一つ一つ丁寧に答えたという。この出来事から釈迦牟尼がいた洞窟のことを「帝釈窟」と呼ばれるようにもなる。

 本作では、瞑想する姿の釈迦牟尼が中央に配され、両手で禅定印(ぜんじょういん)を結び、結跏趺坐(けっかふざ)している。右膝にはハープを手にしたパンチャシカが見られ、左膝には片膝ついて合掌するインドラ神と思しき人物もうかがえる。

パキスタン
2-3世紀
灰色片岩
63. 5×幅54. 0cm

 頭光をつけた太子と、丈の長い婚礼衣装をまとうヤショーダラーが手を取りあう。本作は、聖なる火の周りを巡る婚礼の場面であり、取り仕切る祭司・バラモンの姿もうかがえる。インドでは現代においても火を巡る結婚儀礼が行われている。

3アシタ仙人の予言

画像:アシタ仙人の予言
ガンダーラ地区
3-4世紀
リートベルク博物館
The prophecy of the seer Asita; Pakistan, Gandhara region, 3rd/4th century; slate Museum Rietberg, Zurich; Inv. No. RVI 11

2. 誕生

(展覧会場内説明)

 仏陀の生涯物語を仏伝(ぶつでん)と呼ぶ。ガンダーラ以前に始まったインドの仏教美術では仏伝を表したものは少なく、前世の物語である本生話(ほんじょうわ)の作例が多い。ガンダーラでは本生話が少なく、仏伝の作例が圧倒的に多い。現在は120を越える物語が確認されている。仏伝を表した浮彫は、仏塔(ストゥーパ)の胴部や基壇を荘厳(しょうごん)したもので、仏塔を時計回りに巡る礼拝(右繞/うにょう)にあわせており、柱によって仕切られた場面が右から左へ展開するものが多い。

パキスタン
2-3世紀
灰色片岩
:20.5×幅53. 0cm

詳細画像

1マーヤー王妃の夢

2マーヤー夫人(ぶにん)の里帰り