クルップ社の鋼鉄製野砲C/64は当初プロイセン軍の将校達から疎んじられた。普墺戦争の当時は戦場で爆発事故をおこし、信頼性が充分でなかった。
この4ポンド野砲C/67は、4ポンド野砲C/64の後継機種である。1866年戦争で4ポンドC/64砲のいくつかが拒否されたので、新しい大砲を調達することが強制された。そこで、出来たのが4ポンド野砲C/67である。新しい4ポンド砲は口径が同じ7.85cmだったが、この大砲のために正確な名称が与えられた。すなわち、「腔綫付き鋳造4ポンド砲C/67」。
1871年には形式標識が新しい組織番号に改変されたので、「8cm鋼鉄砲C/67」となった。(引用)
注 釈 3 :
13. プロイセンの鉄鋼生産量推移
11. クルップ 鉄道車輪
画像:プロイセン軍の野砲C/64、クルップ製1874年
エッセン郊外のAltena城に保管されている。
これより古い野砲の実物はドイツには残っていないようだ。
C/64とは1864年に開発されたCannonの意。
画像:プロイセンの鉄鋼生産1800-1870(単位:千トン)。青線は銑鉄、赤線は鉄鋼。
ちなみに、田中長兵衛率いる釜石製鉄所が銑鉄の製造に成功したのは1886年10月16日。自社技術であった。
14. クルップ 野砲
画像:© BayernBahn GmbH
継ぎ目なし鉄道車輪はクルップ社の最初の輸出ヒット商品であった。ここに示すのはルール博物館所蔵の蒸気機関車建設番号41(1938/40)である。1860年代は米国で大陸横断鉄道の建設が相次ぎ、クルップ社が車輪を輸出した。
画像:クルップ製4ポンド野砲 C/67、ケルン市博物館蔵
画像:エッセン:クルップ社鋳鉄工場、1865年7月
15. クルップ 野砲
画像:
この写真が示すのは、エッセンの鋳鋼工場のパノラマ写真のネガガラス板である。撮影者はフォン・フーゴ・ヴァン・ヴェルデン。8メートルの横幅がある世界で唯一の工場パノラマ写真。1864年撮影。
画像:エッセンのクルップ工場 1864年
12. クルップ社盛況