画像:ルール地方で最初に作られた蒸気機関車。JHHによって1839年に建造された。出典: Haniel Archiv, Duisburg
画像:ドイツの鉄道地図 1861年
ドイツにおける鉄道線路総延長の推移
(出典)
年 距離(km)
1835 6
1840 548
1845 2,300
1855 8,289
1860 11,660
1865 14,690
1875 27,930
… …
2005 ~38,000
画像:鉄道地図 1849年。
オーストリア域内の貧弱な路線状況に注目。
画像:Zollverein Schacht 1847年、デュイスブルク生まれの企業家フランツ・ハニエル(Franz Haniel, 1779年-1868年)によって設立されたエッセンの石炭鉱山
画像:プロイセンにおける石炭需要(単位:1,000t) 1817-1870
画像:1840 年、ルール地方で蒸気機関車第一号「ルール号」が建造された。
画像:
画像:最初の蒸気機関車の図 (1840年)
10. 鉄道網
9. 電信 シーメンス
8. 鉱山開発
番外
7-B 蒸気機関車 ハニエル
6. ベルリン ボルジッヒ
写真:ヒューストンのAstros球団のホームグラウンドMinute Maid Parkはもともとユニオン・ステーションだったものを球場に改造した。外野の壁際に1860年頃の蒸気機関車を走らせる。Astros球団の選手がホームランを打ったときに限って走るのである。
画像:ベルリン−フランクフルト・アム・マイン
1848年、シーメンス・ハルスケは欧州における最初の長距離電信ラインの建設契約を獲得した。距離は500kmであり、ベルリンとフランクフルトを結んだ。フランクフルトはドイツ国会の集合地であったから、このラインのお蔭で、1849年3月にプロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム四世がドイツ皇帝に選ばれたというニュースが一時間以内にベルリンに伝わることとなった。
画像:会社設立
31歳のヴェルナー・フォン・シーメンスと大学の機械エンジニアであったヨハン・ゲオルク・ハルスケが「シーメンス・ハルスケ電信機製造工場」(Telegraph Construction Company of Siemens & Halske)を設立し、指針式電信機を製造開始した。この従業員10名の会社は1847年10月12日にベルリンの裏庭工場で操業を開始した。何十年もの間、総売上の大部分は電信機によって稼ぎ出された。
画像:ベルリンのポツダム駅、1843年。ベルリン−ポツダム−マグデブルク線
プロイセン王国の最初の鉄道は私営であり、1838年のベルリン−ポツダム線に始まる。この私鉄は従って「元祖」鉄道と称されている。プロイセン王国が鉄道に投資したのは1850年頃のことである。
画像:アウグスト・ボルジッヒは、1837年(ベルリン)オラーニエンブルク門の近くのショセー通りに機関車用の機械工場を設立した。Borsig機関車を製造。
参考:アメリカの蒸気機関車1860頃
画像:産業革命の表現としての鉄道建設(この絵はボン-ケルン鉄道、1844年頃)
7. 蒸気機関車
7-A. 蒸気機関車 ボルジッヒ
注:
文久二年(1862)6月29日、徳川幕府の外交使節団はベルリンに滞在していたが、朝はボルジッヒを訪れている。(『文久二年のヨーロッパ報告』宮永孝 新潮選書 1989 P168)
注 釈 2: