この肖像画は、初期ルネサンスの卓越した傑作として1894年ベルリンのために取得された。精細な様式検査の結果、前に定められていた属性は否定され、フローレンスのアントニオ・デル・ポライウォーロの作ということになった。画家は若い貴婦人を描くために引き伸ばしたフォーマットを選んだ。これは優雅な容姿を生き生きと描くため、また、彼女の繊細な顔の細かい線を描くためには特に適したサイズである。モデルは青空を背景に、多分パーゴラ(四阿)の下で、ポーズしている。こういうやさしい何もない背景は、おだやかで均一な光のなかで、金髪と、ほとんど識別しにくい精緻な顔の色つやを引き立てるのに必要なのである。顔の色つやは、大きな模様のある色彩の強い錦織の服地と対称的に更にいっそう透明性をましたように見える。大理石の手すりの厳密な水平線はこの人物の不安定な柔軟な優美さとうまく釣り合いがとれている。若さと優雅な身ごなしは調和がとれている。この若い女性は明らかにフローレンス社会のなかで上流階級に属しているのだが、私達は彼女が誰なのか、もともと誰がこの絵を注文したのかも知らない。この場面は婚約あるいは結婚式であるようだ。H.N.

ジョバンニ・ベッリーニは、注文主であるマルコ・ゾルチのために、ヴェニスの近くのサン・ミケーレ島の教会の祭壇の背後飾り(アルターピース)にキリストの復活を描いた。この奇抜な作品は幅広の厳密に構成された細部にいたるまで現実的な風景のなかに設定されている。驚くべきことにはこの現実性は夜明けの雰囲気にまで及んでいる。この時代には、ほとんどの大家は雰囲気上の現象などに注意を払わなかったものなのだが。福音伝道者によれば、復活は早朝に起きた事態であって、ローマ人の警備兵は実見していない。だから、彼らは伝統的に眠っているように描かれるのだ。マタイは驚くべき同時的な出来事を報告している。ベッリーニの絵画では、眠りながらしかも同時にびっくり仰天している警備兵を見ることができる。祝福を与え勝利の旗を持つキリストの姿が光の洪水のなかに現れる;使徒パウロは復活したキリストの「精神的な肉体」について一度言及したことがある。これに象徴的な解釈を与えることもまた可能である。:すなわち、キリストはしばしば「朝の太陽」あるいは「正義の太陽」と言及されるのである。三人のマリアがキリストの体に塗油しようとして近づいている。彼女達の目標は前景の墓なのであるが、墓のなかには蓋の閉じられた石棺が見分けられよう。しかし、ベッリーニが具体的なものを描けば描くほど、彼がここに描写するものは神秘となっていく。H.N.

ユダヤ法によれば、男子の第一子が寺院での奉仕を免除されるためには、生贄を捧げなければならなかった。マリアとヨーゼフはこのとき、年老いたシメオンに迎えられた。シメオンは黙示録によれば、救世主と面会したのちに限って死ぬことを許された。シメオンはこの子供を腕に抱え、永く待ちわびた救世主キリストとしてマリアに渡した。マンテーニャはこの場面の真髄を示す。場所の描写は切り捨てて、緊密に配列された主役達を巻き込んだドラマティックな出来事に完全に焦点をあてる-私達は彼らを見る、それ以外なにもない。それからまた、この絵の背後には目撃者がいる。二人のあまり重要ではない人物なのだが、彼らは聖書の登場人物の理想化されたタイプにふさわしくない。研究の結果は、右側の人物がアンドレア・マンテーニャであり、左側は多分彼の妻、ニコロシア・ベッリーニだということだ。聖者の集りのなかに画師が自画像を描き込むという手法のもっとも初期の例であるが、この大家はこうすることによって彼自身に神のご加護があるように祈ったのである。私達にとって、これは彼の自信の告白である。H.N.

かつてはジェノアとナポリの一族が所有していたラファエロのこの初期作品は、フローレンスで描かれたものであることがまず確実である。ペルージア派の影響が残っていることに加え、フローレンスの影響が加味され、レオナルド・ダ・ヴィンチの発想との最初の邂逅によって激発したことが反映されている。リール(美術館)にある構造的な素描から示されることは、ベルリン作品の絵画の秩序は決定的に改変され、人物が増やされ、背景の風景が追加されたことである。こうすることによって円形画に必要な条件がよりよく満たされた。非対称の三角形の構図は、動きを暗示し、特殊な特徴を示している。マドンナの複雑だが優雅な体の姿勢は人の注意をキリストと洗礼者ヨハネの間の相互作用に向けさせる。二人とも楽しそうに、受難に言及するヨハネの言葉「看よ、神の子羊よ」を記した旗標をもっている。マリアは聖なる子をおだやかに引き寄せてその行動を際立たせている。聖なる子は永遠に理解する調停者としての彼女を凝視している。子供のように、私達もこの場面を観察しよう。風景の上の晴れた空の部分がマリアの重要性を強調する。ここで初めて、ラファエロは自然のムードを利用する:すなわち、救済者としてのキリストの人物への参照として解釈されるべきは朝日なのだ。H.N.

8.

アンドレア・マンテーニャ

1431 パドア近くのカルトゥラ島
       -1506
マンチュア

神殿奉献
1465/66

ラファエロ (1483-1520)
幼児キリストを抱くマドンナ、洗礼者ヨハネならびに聖なる子(マドンナ・テッラヌオヴァ)、1505年頃
ポプラのパネル、直径88.5cm
取得 1854
Cat. no 247

13.

ジオット

見落としていましたが、この美術館にはジオットがあるのですね。

”Gemäldegalerie Berlin 50 Msterpieces”,
Jan Kelch and Rainald Grosshans,
Scala Publishers Ltd. 2001

から写真をお借りしてここに載せておきます。

4.
ルーカス・クラナッハ(父)

1472 クロナッハ-1553 ワイマール

ヴィーナスとアモール(恋愛の神)
1530年頃

クラナッハが描くのは、人間のもつ永遠の生命と永遠の若さへの憧れである。人間は再び若くなること、つまり、すり切れた外殻を脱ぎ捨てて新しい殻に取替えることを夢見るものだ。諸元素の、特に水の、洗い清めの能力の観念は人類それ自身と同じほど古い。場面中央には水が満たされたプールがある。数段の階段を下がればプールに行き着くのだが、回りには文明とはかけ離れた空想的な光景が取り巻いている。人びとは、この人里離れた場所に辿り着いて不思議な水のなかで水浴するために、困難な旅行に取りかかる。この絵の左半分では、皺が寄って体の弱った老女達が荷馬車や担架に乗せられて連れて来られている。彼女達は服を脱がされ、医者が診察したあとで、水の中にはいるのだが、そこでは緩やかな若返りプロセスが生じている。

 彼らの皺や古くて土色の皮膚が消え失せ、肉体はピンク色でなめらかになり、若い少女に変わってしまう。彼らが水から上がると付添人が歓迎し、テントに案内する。そこで新しい衣服を受け取る。歳のとった農婦が宮廷の若い貴婦人に変容し、人生の苦労のない喜びに耽溺する。お祭り気分のテーブルでの歓楽、ダンス、音楽、性行為、全てがみずみずしい花咲く風景のなかで生じる。これらは永遠の若者の領域であり、画面の左側に描かれる不毛の岩だらけの風景のなかに描かれた古い時代の辛苦とは、強い対称を見せている。泉からプールへと水を迸らせている噴水にはビーナスとキューピッドの像が取り付けられている。これはこの噴水が若さというよりむしろ愛の泉であり、愛の力が不朽の真の源であることを証拠てている。R.G.

6.
ピエロ・デル・ポライウオーロ
1441/43 フローレンス(?)-1496ローマ(?)

若い女性の横顔肖像
1465年頃

7.
ジョヴァンニ・ベッリーニ
1430/31頃ヴェニス-1516ヴェニス

キリストの復活
1475/79

アンドレア・マンテーニャ(1431-1506)
寺院でのキリストの奉献、1465-6年頃
カンバス、69 x 86.3cm
Sollyコレクションとともに取得、1821
Cat.no. 29

10.

サンドロ・ボッティチェリ1445フローレンス-1510フローレンス

聖母子と合唱する天使達(聖母子と八天使)(部分)
1477

サンドロ・ボッティチェリ

 この異常に大きな円形画は多分フローレンスのサンフランチェスコ派の教会(現在のサン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会)出自であろう。このフォーマットはレリーフ芸術に触発されたものだが、短期間しか続かなかった。ボッティチェリの傑作はこの形式の発達上の頂点をなす作品の一つである:彼は単に普通の絵画の型枠を円形の配列基準に入れ替えただけではなく、幾何学的な形態からくる要求にあわせ、登場人物の輪郭、柔軟さ、位置関係や姿勢を微妙に調整した。遠近画法的な円形の動きや空間的な円いグループ化によって中心点が聖処女に向けられている。処女の純潔の象徴である百合の花をもった天使達が彼女を讃える。天界の女王として彼女は神の手から王冠を受け取る。キリストたる子供は、寓話的な説明が可能な儀式ばった仕草で彼女の胸に抱えられる:

サンドロ・ボッティチェリ(1445-1510)
聖母子と歌う天使達、1477年頃
ポプラ板、直径135cm
取得 1954
Cat. No. 102A

マリアは彼に知恵を吹き込む一方、同時にすべての人類の母として、(死すべき運命の)人間と父なる神の間に立つ調停者として提示される。神学的な見地からすると、将来受難する神の子と同じ程度に救済の仕事を分担するのです。子たるキリストと画面左側の天使達の凝視は、ともにこの絵の信心深い鑑賞者達に、彼ら自身を秘跡に浸し、十字架の道の予感を憂いに沈んで分けあうように訴えている。過去、キリスト信者達はこの絵のこの見地を直ちに理解したであろう。見事な形状と陽気な色彩のなかで、この作品は、聖処女マリアへの憧れの偉大な要求に応えている。H.N.

11.

ピエロ・デル・ポライウオーロ
1443(?)フローレンス-1496(?)ローマ

受胎告知

 人物の頭上に描かれたノートに書かれたラテン文字はこの肖像の精密さを讃えている。ここに示されているのは、ロンドン事務所に坐っているダンチヒの商人ゲオルグ・ギスツェである。机の上には、多数の品物がおかれている。それらは、印鑑、鋏、錫製の筆記用具、鵞ペン、メッキ容器のなかの時計などである。テーブルの隣には、ベネツィアングラスの花瓶が立っており、花とハーブが生けられている。この絵のなかの品物の多くは象徴的な意味をもっている。花はすぐに萎れることを、また、時計は時の経過を示す。壊れやすいガラスの意味するところは、地上に存在するもっとも秀麗なものでさえ、永遠に継続しないことを象徴する。ホルバインがゲオルグ・ギスツェを描いた1532年、彼はロンドンの(テームズ河北岸にある)ハンザ商人寄留地において指導的人物の一人であった。この寄留地(Stalhof)はハンザ同盟の商取引基地のなかでも最大なもののひとつであった。この肖像画は多分婚約用であり、ダンチヒにいる彼の婚約者に贈られるものであった。従って、この絵は、ギスツェが近い将来帰国し、異郷での長期間の滞在から帰って家庭の幸福をえたいという希望を示している。ギスツェは実際この絵が描かれてからしばらくしてダンチヒに帰り、そこで1535年に結婚し、尊崇されつづけた。R.G.

画像Gemäldegalerie Berlin

絵画館 Geäldegalerie, Berlin

                                 2010/05/20

以上。

12.

ラファエロ・サンティ
1483ウルビーノ-1520ローマ

聖母子、洗礼者ヨハネと子供(テラヌオーヴァのマドンナ)、1505

9.

ピエロ・デッラ・フランチェスカ
1420/22 年頃ボルゴ・サンセポルクロ-1492ボルゴ・サンセポルクロ

悔悛する聖ヒエロニムス

5.
ルーカス・クラナッハ(父)
1472 クロナッハ
     
-1553 ワイマール

若返りの泉、1546
菩提樹のパネル、
122.5 x 186.5 cm
王宮より取得、1830

注:Solly Collection

エドワード・ソリー(Edward Solly25 April 1776 – 2 December 1844)はベルリン在住の英国商人であった。彼は、14世紀と15世紀のイタリア絵画ならびに初期ネーデルランド絵画を、それらがまだ注目されていなかった時期に、前代未聞の規模で収集した。ベルリンの美術館が開館した1821年に、彼のコレクション3000点が買い上げられ、そのうち677点が現在のベルリン絵画館の骨格をなしている。彼はもともとロンドンの非国教徒(ユダヤ系?)商人であったが、ナポレオン戦争のさなか、ベルリンに移住し、バルト海沿岸の造船所向けにプロイセンならびにポーランドの樫材を買い付け、巨額の富を得た。この資金を使い、ナポレオン戦争の混乱期に、僧院が廃止されたこともあって、市場に流れ出た大量の古美術品を買い集めたのである。

 Portrait of a Young Girl, Petrus ChristusならびにRaphael's Solly MadonnaSolly Collectionに含まれる。

ペトルス・クリストゥスは題材を適切な室内場面の中におく。これは、ヤン・ファン・エイクやロヒール・ファン・デル・ウェイデンがけっして行なわなかったことだ。無背景から具体性のある場所背景への移行は肖像画法の発達上大きな重要性があった。というのも、そうすることによって鑑賞者が描かれている人物と私的空間を共有することが可能になるからである。若い婦人は鑑賞者を注意したまなざしで注目している。青ざめた顔、額から櫛で後ろに引き詰めた髪、斜めの目、黒い縁なし帽、三重の金のネックレスとオコジョ毛皮で縁取りした暗青灰色のドレス、これら全てが彼女の奇妙な魅惑を作り上げている。彼女は間違いなく貴族階級、あるいはそうでなくとも高い特権階級に属している。タルボ伯爵(1453年没)についての初期の参考文献から推察すると、モデルは彼の孫娘の一人で、名前はマーガレットあるいはアンといい、シュルースベリー第二代伯爵の娘らしい。この若い少女達は、ブルゴーニュのシャルル大胆王とヨークのマーガレット王女との結婚式に参列するため、1468年、叔母であるノーフォーク公爵夫人に付き添ってブリュージュに来ていたもようだ。ペトルス・クリストゥスはブリュージュに住んでいたが、この際にアンあるいはマーガレットを描いたのかも知れない。もしそうだとしたら、この美しい外国人は一人の若い英国女性であったことになる。R.G.

3.
ペトルス・クリストゥス

1410頃バールレ-1472/73ブルッヘ

若い女の肖像、1470年頃
樫板 29 x 22.5 cm
Solly Collectionから取得 1821

なお、2011年末に、Ulla and Heiner Pietzchの現代画コレクションをこの新館に受け入れることがきまったので、いままで展示されていたこれら名作の引っ越し先が論議されています。ドイツの引っ越しというのは10年単位の時間がかかりますから、これらの名画にしばらくお目にかかれなくなるかも知れません。

1.
ザルツブルグの画師


1470年頃
恩寵の椅子としての聖三位一体

ジオット・ディ・ボンドーネ、
(1267-1337)
マリアの埋葬、1310年頃
ポプラ板、75 x 179cm
カイザー・ヴィルヘルム美術館協会
Cat. No. 1884

ジョバンニ・ベッリーニ(1430/1-1516)
キリストの復活 1479
カンバス(ポプラのパネルから移された)、
148 x 128cm
取得 1903
Cat.no. 1177A

2.
ハンス・ホルバイン
、推定1497年アウグスブルク-1543年ロンドン

商人ゲオルク・ギスツェ(1497-1562
1532
樫板 96.3 x 85.7 cm
Solly Collectionから取得

絵画館は昔はボーデ博物館の場所にあったはずなのだけれども、1998年、ソニー・センターの近くに新館が建設されてそこに移った。時間がなくて駈け足で見て回ったのですが、印象に残った作品を順不同でならべておくことにします。同館で

     ”Gemäldegalerie Berlin 50 Msterpieces”,
     Jan Kelch and Rainald Grosshans,
     Scala Publishers Ltd. 2001”

という本を買いましたので、作品説明が載っている作品については作品解説の拙訳を載せておきます。

この美術館のコレクションはベルリン王宮の王宮コレクションが母体なのですが、あとで述べるように1821年のソリ-・コレクションの貢献が大きいようです。