この美術館は、ロンドン大学の付属美術館である。コートールドという名前から推察すると、コートールドという名前の繊維会社が設立した私設美術館のように聞こえるがそうではない。コートールズという繊維会社を設立したサミュエル・コートールズ(Samuel Cautaulds)の子孫で同名のSamuel Cautauldsが蒐集した印象派の絵画が有名であるが、フェアハム子爵リー(Viscount Lee of Fareham)ならびにロバート・ウィット卿(Sir Robert Witt)も始祖とされている。フェアハム子爵リーは第一次世界大戦後に海軍大臣を務めたひと。この三人は、それぞれに蒐集した絵画のジャンルが異なっている。
なお、コートールズという繊維会社は、戦前、ビスコース法レーヨンという人造絹糸で世界を風靡した会社。パルプを苛性ソーダと二硫化炭素で溶解し、細孔から吹き出し、溶剤を除去し、風合いが絹に似た繊維を作った。現在はリヨセル短繊維“テンセル”を製造しているらしい。
多くの絵画はすでにインターネットに画像が公開されていますから、アドレスをご紹介しておきますが、画像が公開されていないものについて、数枚の写真を載せておきます。
サンドロ・ボッティチェッリ
Holy Trinity with Mary Magdalene, John the
Baptist and Tobias and the Angel (Pala della Convertite), 1491-1493
ルーカス・クラナッハ
アダムとイヴ, 1526
パルミジャニーノ
Virgin and Child, 1525-1527
ピーテル・ブリューゲル(父)
Landscape with the Flight into Egypt,
1563
エドガー・ドガ
Woman at a Window, 1875-1878
写真:
(館内説明文の翻訳)
フォッグ・ピエタのマイスター(活動時期はほぼ1310-40)
聖ローレンス
1335年頃
テンペラ、パネル
(リー子爵による遺贈、1947)
この芸術家の過度に個性が発揮されたスタイルによって、彼の並々ならぬ才能が示されている。彼はフランシスコ派の修道士であったのだろう。彼はアッシジとフローレンスで働き、ステンドグラスの絵描きとしても活動した。このパネルは大きな多くの絵のある祭壇飾り(polyptych)の土台(predella)の一部であった。このアンサンブルのうち生き延びている大きな作品には聖フランシスと幾人かの使徒が描かれている。これらのパネルが所属していた祭壇飾りは多分、ウンブリア地方のフランシスコ派教会のために描かれたものであろう。
コートールド美術館
2012/05/18
画像:
The morelli Chest
写真:下
(館内説明文の翻訳)
ツァノビ・ディ・ドメニコ、ヤコポ・デル・セッライオ、ビアージョ・ダントニオ
(活動時期 1470 年代、1441-93ならびに1446-1516頃)
カッソーネ(婚礼用収納箱)(モレッリのチェスト)
1472年
ポプラ板にテンペラ、金箔
(リー子爵による遺贈、1947)
15世紀の裕福なフローレンス人は、結婚の際、しばしば豪華に装飾した収納箱(カッソーニ)を注文した。これらは高価で、価値のある品物であった。ロレンツォ・モレリという名前の商人が、1472年ヴァッジア・ネルリと結婚したとき、この箱ともう一つを注文した。それぞれにはこの箱の上に吊す絵が描かれた背板(スパリエーラ)が付いていた。オリジナルの背板付で一対のチェストの残存例は他にない。
まことに見応えのある美術館で、感心いたしました。
では皆様、ご機嫌よう。
写真:
(館内説明文の翻訳)
ポール・ゴーギャン(1848-1903)
テ レロイア(夢)
1897
油彩、カンバス
(コートールドからの贈与)
テ レロイアが描かれたのはゴーギャンがタヒチの二度目の滞在中であった。二人の女性が精巧な彫刻が飾られた部屋に坐っているのを示しているようだ。女性の一人は、ひとりの子供が眠る揺りかごに手を触れている。外では、一人の騎乗者が曲がりくねった道を辿っている。人物は会話をしていないので、不可解な感じが高まる。
ゴーギャンは、この絵の主題を不明瞭にしようとしているようだ。彼は書いている:これは子供なのか? 母なのか? 道を歩む馬乗りなのか? それとも、画家の夢なのだろうか!!!
エドゥアール・マネ
『フォリー=ベルジェールの酒場』(1882)
アンリ・ルソー
The Customs Post, c. 1890
ポール・ゴーギャン
『ネヴァモア』(1897)
アメデオ・モディリアーニ
Female Nude Sitting, 1916
ジョルジュ・スーラ
Bridge of Courbevoie, 1886-1887
ピエール=オーギュスト・ルノワール
桟敷1874年
Portrait of Ambroise Vollard, 1908
ポール・セザンヌ
『アヌシー湖』 1896
『サント・ヴィクトワール山』 1887頃
『カード遊びをする人々』 (1892-95)
Still Life with Cherub, 1895
写真:
(館内説明の翻訳)
キース・ファン・ドンゲン(1877-1968)
ドリーのポートレート
1912年頃
油彩、カンバス
個人より借用
ドリーはファン・ドンゲンと彼の妻、グース・プレイティンガーの娘であった。この作品が描かれた頃、ドーリーは7歳あるいは8歳であった。しかし、彼女の赤い頬と唇、大きな黒い眼、そして開けっぴろげなポーズが彼女に大人っぽい雰囲気を与えている。この芸術家の関心に、パリのストリート・ライフと当世風な社会を追憶させているのだ。
写真:
(館内説明文の翻訳)
ヴィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)
耳に包帯をあてた自画像 1889
カンバス、油絵
コートールドからの遺贈 1948
ポール・ゴーギャンが1888年11月にアルルの街でファン・ゴッホと一緒になり、ファン・ゴッホが南のスタジオと呼びならした場所で一緒に絵を描いた。だが、彼らはすぐさま喧嘩し始めた。悪意のある議論ののち、ファン・ゴッホは自分の左耳を切断した。
この自画像はこの事件のあとファン・ゴッホが描いた最初の作品群の一つである。(彼がパイプを吹かしているのを示している別の作品をここに複写しておく)。彼は絵を描くことで彼の精神的な平衡を回復できる、と信じた。ファン・ゴッホは、ほとんど絵を描こうともせず、イーゼルと彼が持っていた日本の版画の前に立っている。かれはその両方に背を向けているように思える。これは、日本の版画によってインスピレーションを与えられ、芸術上の植民地を作ろうとした彼の夢が終わったことを自覚しているのだと解釈されよう。だが、この絵は絵画を継続するぞ、と腹決めした彼の傲慢な声明であるかもしれない。これらの質問にたいする最終的な答えが与えられないなら、私達は自分で判断しなければならぬ。