朝ロンドンよりジュネーブへ飛び、12時に空港でレンタカーを借りて、高速道路を走ること約2時間、ベルンに到着しました。街の中心部にあるカジノの駐車場に車を入れてコッヘル・ガッセ(Kochergasse)を西へ3分も歩けば、連邦院(連邦議事堂、Bundesversammlung)のある連邦広場(ブンデスプラッツ、Bundesplatz)に到着です。

 こうしてベルンの街を見終った私達は、再び車に乗って、グリンデルヴァルトに向かいました。


 では皆様ご機嫌よう。

説明(3):

新クマ公園の建設費

当初は970万フラン ( 88500万円 ) の予算だったが、1450万フラン ( 132000万円 ) に拡大し、最終的には2400万フラン ( 219000万円 ) まで膨れ上がった。
ベルン市議会はその経緯の説明を求め、責任を追及する構えだ。建設費が当初の予算を上回ったのは、アーレ川の岸辺という地質的な問題で、高度な建設技術を要したためと見られている。

説明(2):

現在のクマ広場 ( Bärenplatz ) は、最初のクマ公園があった場所だが、1764年には交通網の障害となったことから、町の入口に移された。
旧クマ公園は1857年に開園。環境は、人間が野生の動物を支配するという考えを引きずったものだった。3.5メートルの深さの堀に、12頭以上のクマが飼育されていた。

説明(1):

ベルンとクマ

市のワッペンになっているクマとベルンの関係には長い歴史がある。ベルン市を創立したツェーリンゲン公爵ベルヒトルト5世は現在のベルン市でクマを倒し、土地にクマという名前を付けたという伝説がある。
ベルン市の歴史家、ヴァレリウス・アンセルムの1513年の記述によるとノバラの戦いで勝利したベルン軍が凱旋で奪い取った敵の旗を掲げ、戦利品として生きたクマを連れてきたとある。クマは町の堀に飼われていたという。

 今はべーレングラーベンは空っぽで、熊はいません。代わりにアーレ川の斜面を利用した広大なべーレンパークBärenparkが作られました。飼われている熊も広い公園を作ってもらって楽しそうです。

 道は下り坂になって最終的にNydeggbrückeでアーレ川を渡るのですが、この橋を渡った先に熊公園べーレングラーベンBärengrabenという名前の巨大な円筒状の穴蔵があって、この中に昔、熊が飼われていたのです。

 時計台広場を通り越したすぐのところに熊の像が立っています。ベルンはなんといっても「熊」なのです。

ZytgloggeとはZeit Glocke(時鐘)のスイス語訛りです。日本語に直せば時計台の意。なお、bimとはドイツ語のbeimのようです。(ちょっと文法的にはおかしいかな?)。すなわちBim Zytgloggeとは時計台広場の意味です。

画像:これが時鐘。

写真:マルクト・ガッセよりBim ZytgloggeにあるZytgloggeを望む。

 ワン・ブロック進んで右に曲がり、東西に走るマルクト・ガッセを東方向にすすめば、ビム・ツァィトグルッゲを通り越したところから、有名なクラム・ガッセ(がらくた通り)です。この道筋は特徴的な雁木構造となって沢山の店が並んでいます。

 あまり見栄えのしない国会議事堂ですが、裏手のブンデス・テラス(Bundesterrasse)に立つとアーレ川Aareを見下ろす絶景の景勝地に立っていることがわかります。

 連邦院の前には連邦広場があって、コンクリート敷の地面から噴水が間歇的に吹き上げます。

 この連邦広場から北にワン・ブロックの間がべーレンプラッツ(Bärenplatz、熊広場)と名付けられた広場で、ここが市民のマーケットになっています。ずっと昔はここでベルンのシンボルである熊が飼われていたのです。
  そういえば、熊はドイツ語で
Bär(ベール)、複数でBären(べーレン)、スイスのドイツ語はすこし訛りますから、「ベルン」だと考えると、この街の名前は「熊(複数)」の意味なのかも知れません。

ベ  ル  ン

       2012/05/22

写真:連邦広場の噴水