インターネット記事から引用しましょう。
バックダンザンは、ハイフォン市の北側にある入り江です。元軍の第三回目のベトナム侵攻(1287〜1288)の 際、戦況が不利となった元軍は、軍事拠点があったヴァンキェップからバックダンザンを通って海路脱出をはかろうとしました。そのときチャン・フン・ダオ は、汐の干満を利用した戦法で元軍を迎え撃ちました。その戦法とは、バックダンザンの支流のチャイン川で、干潮時に予めリムの木(鉄木)の 杭を川底に打ちこみ、草をかけてわからないようにし、満潮をみはからって敵をおびき出し、敵船が杭で動けなくなったところを小型の船で攻めるという方法で した。ここは昔から中国から紅河デルタの中心に入る主な水路の一つで、この戦法は先人(呉権(ゴ=クエン)938年)にならったものでした。元軍は大敗、ベトナム征服は失敗に終わりまし た。
また、NHKスペシャルの記事も興味深いです。
デザインがなんともいえず、好ましいですね。クリシュナですかねえ。
画像:
写真:
スーリヤ
6-7世紀
砂岩
Thap Muoi、アンザン省
2.
画像:
写真:
11世紀
ナーガによって守護される仏陀
砂岩
ヒンドゥーの影響でしょう、この地方の仏陀像は時代が下がると、蛇神によって守護されることになります。日本人の感覚からすると「興ざめ」。しかも赤色に着色された仏陀像だなんて。
素晴らしい造形です。懐中に収め常に携帯していたい仏像です。ファンティエットはホーチミン市の東方150kmの港町ですから、船で外国から運ばれてきたものでしょうか。
写真:バックダンザンの戦い(1288)1 蒙古軍の船が水中から突き出た杭に捕われて敗北した。
歴 史 博 物 館
2013/01/29
こうやって年代順に仏像を見てくると、基本的にベトナムの仏像は、中国や日本と同じく大乗仏教かつ北伝系であることが推定できるような気がします。仏像7.だけはカンボジャの影響下にあるといえるのでしょうが。
8.
チャンパにおけるユニークな彫刻は他の神々とちがって、惑星に関係する九人の神々である。昔は崇拝されたこの彫像はインドの宇宙論の伝統と関係している。インドではとてもありふれたものだが、カンボジャの古代クメール芸術にも現れる。
写真:
男性の神の胴体
14-15世紀
茶色模様の陶器
Yang Mum、ザライ省
写真:
柱脚(一部)
7-8世紀
砂岩
ヒンドゥー教では、シバ神は創造と破壊の神と考えられている。彼のもっとも聖なる出現はリンガ(徴、あるいは、形、Lingam)である。リンガは男根の形をしていて、それが彼の存在を象徴する。このリンガが神の顔で装飾されたとき、それはムチャリンガと呼ばれる。
3.
太陽神であるスーリヤは両手に蓮の花を持つ。インド神話の神。
U-b ベトナム
1.
画像:プルメリアだそうです。
写真:
仏陀像
12世紀
砂岩
アンコール・ワット
3.
写真:
ヴィシュヌとラクシュミ(ヒンドゥーの女神−富と繁栄と美の象徴)
10-11世紀
砂岩
アンコール・トム
2.
写真:
観音菩薩
12世紀
砂岩
アンコール・トム
4.
写真:
観音菩薩像
10世紀
青銅製
Dai Huu、クアンビン省(ダナンとハノイの中間)
6.
7.
日本では四本腕の観音菩薩はありませんが、右手に蓮の花と数珠をもっているようですが、左手にはなにをもっていたのでしょう。お顔の表情がなんともいえず、素敵です。
写真:
観音菩薩
8-9世紀
青銅製
ホアイ・ノン、ビンディン省
5.
写真:(両方とも)
仏陀像
7-8世紀
青銅製
ファンティエット、ビントゥアン省
腰のあたりに透けて見える下着の線からすると、5世紀のグプタ仏の特徴が見えてきます。左手の下に下がるのは着衣の残存部分ではないでしょうか?(→グプタ仏)
Sao woodという木ですが、ベトナム語で”Sao Dan”、別名Hopea odorataという高木で、高さが40mにも達し、幹の直径が4mにもなる東南アジア原産のhard woodのようです。シロアリを寄せつけないことから昔は船舶材などに使われたようです。(関連資料)
写真:
仏陀像
6-7世紀
Sao wood
タップ・ムオイ、ドンタップ省(ホーチミンの西100km)
画像:プルメリア
3.
2.
現代的でシュールな感じがして素晴らしい造形です。現代美術を鑑賞しているような感じです。細かい造作が当初はあったのでしょうが、長い年月が余計なものを削ぎ落とし、精神だけを残したような。それにしてもあまりにも現代的な造形ですね。
この仏像がこの歴史博物館でもっとも古い作品。
美術館による説明は次。たったこれだけ。
仏像というのはそもそも完成したのが5世紀頃ですから、この仏像は非常に初期の仏像である、と言えます。素朴な趣き−釈迦牟尼にたいする個人的な親しみ−というようなものがあり、とても素敵です。
写真:バックダンザンの戦い(1288)2
ここがホーチミン市の歴史博物館です。1月25日にハノイの歴史博物館を訪問予定していたのですが、突然に同館が閉館になったために1月29日ホーチミンの歴史博物館を訪れることとなりました。(あとで調べたら、ハノイの歴史博物館は仏像の展示が殆どありません。たまたまホーチミン市の歴史博物館を訪問できてラッキー!)
この博物館は、あまりにも殺風景ですので、ベトナムの花の写真を借りてきて、散らしてあります。借り物です。
ざっと見て歩いただけですが、こういうところでした。
では皆様、ご機嫌よう。
写真:
ムチャリンガ
6-7世紀
砂岩
Nui Ba The、アンザン省
収蔵品
T. 仏像
1.
写真:6世紀 仏陀像、青銅製
入口に巨大な壁画が飾られています。これは日本での元寇(1274年、1281年)と相前後してベトナム(当時は「大越」=Dai Viet)に蒙古軍が襲来し(1257、1284、1287年)、三回目の来襲の際、チャン・フン・ダオ将軍がハイフォン湾北部のバックダン(白藤江)で蒙古軍を策略にかけ、壊滅させた故事(バックダンザンの戦い)を描いたものです。昔から、ベトナム人は圧倒的な兵力に対抗するゲリラ戦がうまかったのですね。
画像:「ハイドゥン」です。
写真:歴史博物館
写真:
仏陀臥像
15世紀
青銅製
5.
写真:
九人の神の石碑
10世紀砂岩
Tra Kieu、クアンナム省 (ホイアン西郊)
画像:
4.
写真:
スーリヤ
6-7世紀
砂岩
Nui Ba The、アンザン省
写真:
女神
12-13世紀
砂岩
Phnom Bakhen (アンコール・トムの手前左)
U. その他(目についたもののみ)
U-a カンボジャ関係
1.
写真:
仏陀像
7-8世紀
ウラゲサルスベリ(Lagerstroemia tomentosa)の木
ビン・ホア、ロンアン省(ホーチミンの西50km)
4.