画像:
『仏陀の旅』丸山勇
岩波新書1072
岩波書店 2007, P134
偏袒右肩で肉髻はありますが、螺髪も白毫もありません。掌には法輪が描かれています。
デヘージアの『インド美術』の該当の箇所を引用しましょう。
・・・・彼らはマトゥラーの赤色砂岩を用いて、微笑みの表情をもち、眼は観者を見据えるように見開き、肉髻を巻貝状に表す仏像を造りだした。僧衣は偏袒右肩式に右肩を露わにし、薄く半透明で、その下の量塊感のある逞しい肉体を表している。こうしたマトゥラー仏は、豊饒をもたらす聖霊的な神であるヤクシャと呼ばれる像、おそらくマウリヤ朝にまで遡る初期の偉丈夫なヤクシャ像を手本にしたであろうと思われる。・・・・
(『インド美術』デヘージャ
岩波書店 2002 P92)
画像:
玄奘紀行図
『大唐西域記』玄奘著 水谷真成訳
平凡社 1971
P321
赤い矢印のところがマトゥラー(秣菟羅国)
秣菟羅国に関する記述は同書P100を参照すること。
マトゥラー考古学博物館
これが本来の所蔵されているべき三道降下なのですが、下が現在展覧されている三道降下です。お釈迦様も帝釈天も梵天の姿も見えません。
理由はどうなのか知りませんけれどマトゥラーの美しい作品が私達の目から消えています。
法顕がインドを旅行したのは401 – 410年ですから、この頃にこの仏像が造られたことになります。典型的なグプタ仏像です。
これと類似の仏像がインドにもう一体ありまして、もともとはニューデリー国立博物館所蔵だったのですが、現在は大統領官邸にあります。
見て廻るうちに気付いたことがあります。
マトゥラーの仏像には一体として金色仏がな
いのです。ガンダーラの場合はほぼ全ての仏
像に金箔貼りあるいは鍍金の痕跡が残ってい
るというのにです。マトゥラーには金箔の製
造メーカーがいなかったからか、あるいは金
色に装飾する文化が歴史的に欠けていたから
か、そのどちらかなのでしょう。
龍樹の著作であり、その解説のために、訳
者である鳩摩羅什が大幅な付加を加えたとい
う「大智度論」には、三十二相の第十四項と
して金色相が書かれています。だから、日本
人にとって仏像は金色に輝いていなくてはな
らないのです。龍樹という人は、カニシカ王
の時代の人で南インドの生まれなのですが、
後半は今のパキスタンの南部で暮らしていた
ので、ついついガンダーラの仏像の色を自分
の著作のなかに取り込んだのかも知れません。
でも、なぜマトゥラー仏が金色でなかったの
か、不思議ですね。
この仏像7に関するデヘージアの描写を引用してみましょう。
・・・・グプタ時代のもっとも早い現存する仏像の1つは432年在銘の仏像である。この作品では、ガンダーラ仏の僧衣に見た古典的で重厚な襞が一連のU字形を描く紐状の襞に代わり、その衣の下に仏陀の美しい身体が見える。・・・・
(引用:同上)
今は大統領官邸に埋蔵されているこのグプタ仏こそ、インドの仏像の最高峰に属するものと考えられているのです。
仏像 7
写真:
Standing Buddha Image carved/installed by
Buddhist Monk Yasadinna
ca. 5th century A.D.
Find Place - Jamarpur Mound near
Collectorate Compound, Mathura
仏像 5
仏像 4
写真:
Head of Buddha
Kushana Period
Find Place - Chaubara Mound, Mathura
もう少し新しい時代で2世紀の作品でしょうか。髪を結い上げた巻き毛の形をした肉髻があり、白毫もあります。しかし、螺髪はまだありません。
もう一枚見て頂きましょう。
写真:
Standing Buddha in Abhaya and Head is enriched
by a Halo with scalloped Border
From Govind Nagar, Mathura
Period early Kushana
そしてこれから暫くしてこの土地はクシャーナ朝に入ります。詳しくは知りませんが、第三代のカニシカ王の頃に最大版図となり、プルシャプラ(現在のペシャワール)が夏の首都、マトゥラーが冬の首都となってマトゥラーは最大の繁栄期を迎えました。
画像:
Buddha
ca. 1st Century A.D.
Find Place – By pass (Mathura)
上の写真を部分拡大してみます。
博物館の中は右手から左手へと時代が新しくなっていくのですが、玄関を入るとそこはクシャーナ時代で、すこし右手へ進むと、巨大な菩薩像がある。これがどうやらもっとも古い仏像のようですね。
このマトゥラーは昔から交通の要衝にあったので、非常に栄えた殷賑の町であったようで、『法顕伝』にも『大唐西遊記』にも大きく取上げられています。二人ともグプタ王朝期に訪問したのですが、とくに『大唐西遊記』には「三つのストウーパがあり、みな無憂王が建てたものである(P100)」、とアショーカ王によって作られたストゥーパの存在が明記してあります。
閑話休題
さて、考古学美術館に到着したので、じっくり展示物を拝観させていただいたのですが、この保存状態もあまりよろしくない博物館を隅から隅まで調べていたら、この博物館の持つ意義が少しずつ分かりはじめました。
そして、とてつもなく素晴らしい博物館であることが、ボンクラの私にも分かり始めました。
西遊旅行の代理店が準備してくれたジープで念願のマトゥラーに向ったのだが、マトゥラーに近づくにつれてインド人運転手の様子がおかしくなり、話を聞いてみる。彼が言うには、マトゥラーは実はクリシュナの出生地であって、マトゥラーを訪ねるときはクリシュナの出生地を訪ねる必要がある。クリシュナ・ジャンマブーミーという寺院なのだが、午前中と午後五時以降しか開いていないから、美術館の前にクリシュナのお参りに行きましょう、というのであった。これでそわそわしているわけが分かった。
そこでまずこの寺院をたずねたのだが、カメラは禁止、靴も禁止、訪問前に手を洗う必要があった。
では皆様ご機嫌よう。
写真:
Relief showing Buddha’s Decent from
Trayastrims Heaven
Find Place – not known
ca. 1st Century A.D.
画像:
仏坐像
マトゥラー出土
2世紀
赤色砂岩
高さ69cm
マトゥラー博物館
『岩波 世界の美術 インド美術』
ヴィディヤ・デヘージア著 宮治昭/平岡三保子訳
岩波書店 2002,
P93
この仏像はマトゥラー仏像の進化過程から観察すると、仏像4の段階で、偏袒右肩で、巻き毛状の肉髻も白毫もあります。しかし、螺髪はまだありません。カニシカ王後期の時代に作られたのでしょう。
最後に、残念なことをご報告しなければなりません。
一部の作品で博物館に在るべき作品が欠けているので
す。先にご報告したクシャーナ仏(左)、ならびに三
道降下の石板(右)が見当りませんでした。
円形の光背のついた結跏座位も作られました。が、肉髻がなく、螺髪も白毫もありません。偏袒右肩ですが足裏には三宝標と法輪のマークつきです。カニシカ王朝よりも少し前の時代の仏陀像なのでしょう。
画像:
『岩波 世界の美術 インド美術』
ヴィディヤ・デヘージア著
宮治昭/平岡三保子訳
岩波書店 2002,
P98
仏像 6
写真:
Lord Buddha in Abhaya
Transitional Period, Kushana Guputa Period
ca. 3rd – 4th Century
A.D.
Find Place – Govind Nagar, Mathura
ガンダーラ・スタイルを取り入れて通肩となり、僧衣の襞模様が強調されました。施無畏印ですが、左手は依然として衣の裾を握っています。正規の形の肉髻、螺髪、白毫となりました。三十二相の条件が整ったわけですが、掌にはまだ法輪が残っています。光背も作られているのですが、この仏像には断片しか残っていません。
仏像 3
この時期にゴツゴツしたマトゥラー様式で作られたのがカニシカ大王像で、分厚いフェルトのオーバーを着衣しているのがわかります。出身地の衣服なのです。
画像:
Gmperor Kanishka Greatest of the
Monarks,
from-Mat (Mathura),
ca 1st Century A.D.
仏像 2
「赤色砂岩、微笑みの表情、見開いた眼、僧衣は偏袒右肩、僧衣は薄く半透明」の諸条件をみたしています。この像の場合、頭だけは巻貝状の肉髻ではありません。製作時期は1世紀頃です。
これが仏像だなんてとても信じられませんね。しかし、これがもともとの仏像の原型なのです。
画像:
Colossal Bodhisattva,
Find Place-Maholi (Mathura),
ca 1st Century A.D.
仏像 1
写真:マトゥラー考古学博物館
ところがその後、仏蹟はことごとく破壊されて、現在はなにも残っていない。 つまり、考古学美術館に展示してある彫刻類はすべてマトゥラー市内を発掘調査して掘り出した作品なのである。
画像:絵葉書から。右手の三つのドームの地下がクリシュナの出生地
画像:絵葉書から。クリシュナと愛妻ラーダー。着せ替え人形であって、毎日衣裳が替わる。
ヒンドゥーの三大最高神は、
シヴァ 破壊神
ヴィシュヌ 維持の神
ブラフマー 創造の神
であって、この内ヴィシュヌには十の化身がある。九番目の化身は仏陀なのだが、八番目がクリシュナである。数々のヒンドゥーの神様のなかでももっとも人気がある神様がクリシュナで、だからマトゥラーの町はクリシュナの祠で満ちあふれている「クリシュナの町」なのだ、ということでした。