世界のマトゥラー仏像(資料)

画像
Standing Buddha
320-485
Gupta dynasty
Red sikri sandstone
H: 134.6 W: 58.4 D: 30.4 cm
Mathura, India
Purchase F1994.17

翻訳:

一本の足をかすかに曲げて立つこの堂々たるブッダ像は、マトゥラーの芸術家達が作った。マトゥラーはグプタ王朝(西暦約320-485年)の重要な芸術中心地であった。芸術家達は典型的なグプタ仏陀像を創造するために、それまでの伝統からの要素を選択的に結合させた。ガンダーラのグレコ-ローマン様式からグプタの彫刻家達は僧侶の服装を借りた。それは両肩を覆い、その襞を紐のネットワークに変え、彼ら自身の初期のマトゥラーの伝統に従って、仏陀の感覚に訴える充実した肉体形を保持した。石を鋭敏に加工することにより、腰の部分に襞のある腰布により造形された縁が現われた。まるで下着の下端がくるぶしのところで覗いているような有様になる。仏陀の左手は衣服の重なりを手に持ち、一方、右手はもともとは施無畏の印をしていた。頭部が欠失しているにも拘わらず、これは非常に重要な像であり、グプタ様式のもつ力強さと威厳を伝えている。主要な仏教寺院のなかで崇敬の対象となっていたことであろう。

グプタ様式の仏陀は、陸続きのネパールとチベット、スリランカ島、ならびにビルマ、タイ、カンボジャ、ベトナム、ジャワを含む全仏教徒世界の霊感の源泉である。それぞれの地域がグプタの理想を受け取り、それを自己なりに発展させた。インドへ旅行する中国人の巡礼者達も帰りには運ぶことができる青銅製のグプタ仏像を持ち帰るのである。

翻訳:

この仏陀はライオンの台座に載っている。台座の一
部は欠けている。台座は間違いなく両側に座したライ
オンの側面像ではさまれていた。台座の中央は同じラ
イオンの正面向きで装飾されている。釈迦牟尼は足を
交差させて座していて、右手は施無畏印を示し、左手
は股の上に置いている。身体には透明な衣裳をまとっ
ている。質感のある頭部には肉質のクシャン期の特徴
が示されている一方、髪は髪の毛の線で示され、頭の
てっぺんには肉髷(コイル状の髪)がある。仏陀は対
になった従者のブラーマとインドラによってはさまれ
ているが、払子を手にしたブラーマ(仏陀の右側)の
みが残っている。インドラは石碑の上部とともに欠失
している。この石碑は充分残っており、貝殻印の光背
が仏陀の頭部を取り巻き、光背を取り巻く菩提樹の木
が判別でき、菩提樹が石碑の後部を際立たせている。

 この彫刻は、一見印象としては二つの浮き彫りが寄
せ集まったようだが、円形のなかのひとつの彫刻のよ
うに受け取れる。裏側には完全な菩提樹を見ることが
できる。幹、枝、葉など。そして枝の一つに一匹のリ
スが魅惑的なアクセントとして描かれている。台座の
後ろには仏陀と彼の従者も描かれている。この石碑は
円のなかの彫刻の
効果を強調するように貫通した穴が
明いている。多数の長髪タイプの仏陀が知られている。
インドのなかの多数は最近
Mr. R.C.Sharmによって公
表された。本国(米国)にはロサンジェルスとサンフ
ランシスコに不完全な石碑がある。シカゴの
Alsdorf
コレクションに小さな石碑がある。

翻訳:

第一カニシカ期(約78-130年)の前半に流行していた長髪タイプの仏陀像は、この時代の後半にはガンダーラの影響を強く受けて進化した仏陀像によって取って換わられた。この様式は後のマトゥーラ派の仏陀像の発展に直接的な関係がある。この彫刻はマトゥラー派へのガンダーラの影響に引き続く時代に属していて、第二カニシカ期(177から3世紀)にマトゥラーで流行した様式を代表している。仏陀は平面で結跏趺坐している。彼の本来の左手はジグザグに流れ落ちる僧侶服を支えている。右腕は現在は失われているが、ほとんど間違いなく施無畏印である。頭部は残念ながらこれもまた失われている。身体は不透明なサンガチ(上っ張り)を羽織っており、両肩を覆い、肉体のアウトラインをほとんどかくしている。その折重ねは対称的な放物線を描き、ガンダーラの影響下にあった時代のマトゥラーで作られたブッダ像を思い起こさせる。折重ねの処理はきわめてはっきりしており、円形の角のある隆起したエッジからなり、紐のような概念であり、初期の彫刻に見られる服襞の溝のような表現ではない。後期の時代の他の特徴は、両足が膝から下が覆われておらず、くるぶしの下から現われる下着によって形成される様式化された衣裳、そして左手で掴んでいる襞の機械的なジグザグ模様である。これらの特徴からしてこの彫刻は第二カニシカ時代であるが、クシャーナ時代を越えることはない。彼らの慣習的服装はまだクシャーナであって、この彫刻の重く、どっしりした均整感がそれを示している。いくつかの形式上の品質はグプタ時代の進化したイメージをしめしてはいるが、この像にはグプタ彫刻の明確な柔軟さが欠けている。遷移時期にも拘わらず、クシャーナの特徴が優勢であり、これから出現するグプタの特徴よりも顕著である。

翻訳:

クシャン王朝はインドの北西部の大部分と(現在のパキスタンとアフガニスタンのいくつかの部分である)古代ガンダーラ地域を支配していた。マトゥラーはクシャンの第二の首都であり、芸術生産の主要な中心地であった。ここからインド独自の伝統に従った芸術が、地域のまだらな斑(ぶち)のある赤い砂岩を利用して発展した。

この仏陀坐像は標準的な初期マトゥラータイプである。教師としての釈迦牟尼の擬人化により、仏陀は伝統的なヨガ行者として表現されていて、玉座に坐り、僧侶の服を着衣している。薄い透明なローブは左肩に懸けられ、右肩は裸のままである。柔らかい肉を繊細に表現しているので、その下に隠されている筋肉質はかくされている。しかし、にもかかわらず、その身体に充実さと質感を与えている。髪はなめらかで帽子のようであり、頭蓋のこぶ(肉髷)はこの彫刻では見あたらないが、(もしあれば)巻かれた束髪、あるいはコイル状の髪として表現されていよう。右手は上げられていて保証の仕草をしている。(施無畏印
 教典に書かれているとおり、掌と仏陀の足裏には蓮と車輪が印されている。これは彼の神性と説教の象徴である。深掘りされた一般的な体型の感覚的なトルソーの、仏陀の両脇におかれた高貴な従者は、彼らの君主と同じような顔の表情と古代的な微笑をたたえている。

この彫刻は一個の石碑の形で製作され、仏陀の生涯に関連する他の象徴や人物を含み、普遍的な支配者としての高貴な地位を示している。彼の頭の後ろにある大きな光背は太陽を意味し、彼の神性を示している。玉座の浮き彫りの中央部にある柱とその上に置かれている一個の車輪は説教のシンボルであり、サールナートにおける仏陀の初転宝輪を言及している。柱をはさんで、払子を手にしている二人の人物と後ろ足で立ち上がったライオンは仏陀の支配者の遺産を意味している。

翻訳:

この仏陀像は、マトゥラー地区に特徴的な淡い紅色の砂岩に彫刻されており、グプタ期派工房のスタイルそのものである。正面向きで完全に対称的な姿勢の立ち姿をとったこの像は、昔の背の高いレリーフで同じ素材の大きな墓石を思い起こさせる。この作品は、現在では頭が欠けているが、特別に顕著な、ある種の古典的な美の基準に一致するシルエットに固有の形式をもっている。おまけに、筋肉は流れるように表現され、身体はこの世のものとは思われない清純さで、繊細で透明なドレスを着衣している。このドレスはuttarâsangâという僧衣であり、俗称「濡れた衣」と称されるものであり、下にantarâsangaと称する下着が透けて見える。欠失している右手は、もともとは(畏れのない)施無畏(« abhaya mudrâ »)の印を結んでいたのにちがいない。仏陀の頭部にはかつては円形の大きな光輪がつけられていたが、左肩の上に残っているその断片は、生い茂った葉っぱの下地に花と真珠の模様で装飾されている。形態の清らかさ、調和のとれたプロポーション、この像の格調ある仕上げ、ならびに衣服と光輪の処理の巧みさが、この作品を、チベットからはじまり中国ならびに日本に至るまで、後世代々に伝わる仏教彫刻の原型に仕立て上げている。

インドにおいては、グプタ様式は、古典期ならびに後期古典期様式を指しており、それは4世紀から8世紀に花ひらいた。インド文明の黄金時代を構成するこの期間、芸術全てが先例なく開花した。彫刻では、2つの流派、2つのスタイルが特別の品質として頭角を顕わした。すなわちマトゥラーとサールナートである。

5. Sumithsonian/Freer

6.  Musée Guimet

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Torse de Buddha
Uttar Pradesh (Inde du Nord), région de Mathurâ
Epoque Gupta,
début du VIe siècle de notre ère
H. : 142 cm - L. : 54 cm
MA 4864

翻訳:

  画廊符合はグプタ時代(四世紀初めから六世紀初め)であり、インドの黄金時代と言及される。インドの文化的天才がその隣国文明に忘れられない印銘を残し、後のインドの王朝が彼らの業績を判定するための一つの絶頂を作り上げた。文化的な業績は卓絶した頂点に達しており、文学、芸術ならびに科学が物惜しみしない王朝の後援のもとに繁栄した。グプタ文化のすべての局面に浸透している新しい合理主義とヒューマニズムを反映して、芸術の形式とスタイルは発展して亜大陸からまったく離れた地域にたいし模範を提供することとなった。

 彫刻においてはこの時代は新しい自然主義ならびに新しい形式の調和した順序を促進助長した。この高度に洗練されたシステムにより柔らかい、穏やかな曲線や、容量から容量への流れるような遷移、なめらかに流れる形の持続的で完全な調和が生み出された。厳格な幾何学的な合理化によって訓練されて、第五世紀にこのシステムは進化し、人類の最大の美術様式―古典グプタ様式―へと発展した。

ブッダの崇高な顔は豊かな、丸いボリュームと滑らかに内部結合した形に構成されて、技術的に調和した全体性を形作る。丸い頬、肉感ある唇、アーモンド様の目、高く優雅に隆起する眉による「度のすぎる」容貌は、首の下にある衣裳の上端の湾曲部の説得力のある曲線により強調されている。

上記のほか注目すべきマトゥラー仏は

以上。

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Seated Sakyamuni
India, Mathura, Kushan Period (1st century-320)
Date: late 1st century - early 2nd century A.D.
Medium: red mottled sandstone
Dimensions: Overall - h:51.40 cm (h:20 3/16 inches)
Department: Indian and South East Asian Art
Type of art work: Sculpture
Credit Line: Purchase from the J. H. Wade Fund
Accession No.: 1970.63
Location: Not on view

1.    Kimbel Art Museum, Fort Worth, Texas

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Indian
Seated Buddha with Two Attendants
A.D. 82
India, Uttar Pradesh, Mathura, Kushan period (c. 50 B.C.–A.D. 320)
Red sandstone
36-5/8 x 33-5/8 x 6-5/16 in. (93.0 x 85.4 x 16.0 cm)
AP 1986.06

Kimbel Art Museum, Fort Worth, Texas

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Title/Object NameBuddha
CultureIndia (Uttar Pradesh, Mathura)
PeriodGupta dynasty (ca. 321–ca. 500)
Dateca. 435–50
MediumSandstone
DimensionsH. 33 11/16 in. (85.5 cm); W. 16 3/4 in. (42.5 cm)
ClassificationSculpture
Credit LinePurchase, Enid A. Haupt Gift, 1979
Accession Number1979.6

2. The Cleveland Museum of Art

3. The Cleveland Museum of Art

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Seated Buddha
India, Mathura, late Kushan period, 3rd century
Date: 200s
Medium: red mottled sandstone
Dimensions: Overall - h:63.00 w:58.50 cm (h:24 3/4 w:23 inches)
Department: Indian and South East Asian Art
Type of art work: Sculpture
Credit Line: Edward L. Whittemore Fund
Accession No.: 1941.94
Location: Not on view

4. The Metropolitan Museum of Art, New York