ウィリアムズバーグ      (Williamsburg)

                    2011/10/23

ヨークタウンジェームズタウン

 今回興味深かったのはウィリアムズバーグの近郊にあるヨークタウンの古戦場でした。

 ご参考までに、現地の看板の写真とその翻訳文、ならびに数葉の写真を次項に添付しておきます。

 1930年代に再建されたウィリアムスバーグの町は観光用で、州議会議事堂も、総督公邸も創建当時のものではありません。写真を数葉ここに載せておきますけれども。

 ジェファーソンという人は、1743年シャーロッツビル東隣のシャドウエルで生まれたのですが、大学は当時のバージニアの首都であったウィリアムスバーグにあるウィリアム・アンド・メアリー大学でした。独立宣言草稿を書き上げたのはフィラデルフィアだったけれども、独立宣言の結果生じた独立戦争の最終の舞台はウィリアムスバーグだったし、独立戦争を実質的に終結させることとなったのは、ウィリアムスバーグ近郊のヨークタウンでした。だから、独立戦争のことなら、まずなにはさておいてもウィリアムスバーグを訪ねなければならない、のだと思います。

写真:首枷のお仕置き台

ヴァージニア州議会

(翻訳)この歴史地区は75年間ヴァージニアの植民地政府の場所であった。この場所で17655月パトリック・ヘンリーが印紙税法を弾劾し、1776515日、ヴァージニア会議で、大陸議会は統一植民地を自由で独立した国家であることを宣言する旨を全会一致で提案した。1776612日、ヴァージニア会議はジョージ・メイソンによる権利宣言を承認し、629日には新ヴァージニア州における最初の憲法が採択された。

ウィリアムスバーグ

 さて、道草してしまいました。

写真:17世紀以来英国植民地の拠点の一つであり、1776年後は独立運動の拠点となったウィリアムズバーグは、南北戦争ののち荒れはてていたが、1930年代、主としてロックフェラーの資力により、復元され、アメリカ人の心のふるさととなっている。

 ここでハーツのナビについて報告しておきますが、日本の完璧スタイルのナビとは随分違っています。日本語での説明はしてくれるのですが、日本のナビと違って画面は小さいし、レーンを間違え、出口を間違えてしまうことが多いことと、ゼンリンのような詳細な地図が完備されていないせいか、地方都市、たとえばウィリアムスバーグとか、シャーロッツビルへ行くと、住所を打ち込んでも目的地には辿り着けないことがわかりました。最近はiPhoneGPSナビ機能がついたのがあるようで、iPhoneをナビ代わりに使うほうが便利だというひともいるのだそうです。道を間違えたときの再計算もひどく遅いし。・・・・ナビのことなら、やはり日本が一番という結論になりそうです。

写真: 1607513日、イングランドの植民者達がジェームズタウン島に開拓地を開いた。インディアンと戦い、土地を開墾し、ウィリアムズバーグに総督府を設けた。背後に見えるのが、総督府公邸

 アメリカ人の大学教授に指示されて、『Jefferson』という本をとても面白く読み通した小生は、アメリカの独立宣言草案を書き上げたジェファーソンの生まれ育った場所に行ってみたいという気持ちが抑えられなくなり、テキサス州の次に、ワシントン特別区へやってきて、一晩空港近くのホテルで宿泊したあと、レンタカーを運転してウィリアムスバーグへやって来ました。時速100kmで走り約2時間半ほどの距離でした。

写真:州議会内部

写真:
議会(キャピトル)掲示板

写真:住民は18世紀の服装を忠実に再現して着用している。

写真:Hertzのナビ。Hertz never lost moneyと読める