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鍵盤独奏での問題

演奏楽器 において、「フーガの技法」が「クラヴィーアやオルガン」で
演奏されることを想定した作品であることを述べました。
しかし、W.グレーザーが演奏困難との指摘に至ったように、
手鍵盤のみでの独奏が困難な箇所が存在するのも事実です。
ここでは当該箇所について検討してみたいと思います。


1.広すぎる音程

一部の曲には手鍵盤だけで独奏するには
音程が広過ぎて困難な箇所が含まれています。

例えばContrapunctus6のコーダには次のような箇所があります。


Contrapunctus6 の77小節〜。赤い音符の演奏が困難です。

また2曲の鏡像フーガ(Contrapunctus inversus 12 a4/(13) a3)では
下の例以外にもあちこちに演奏困難な箇所が見られます。


Contrapunctus inversus 12 の14小節〜。赤い音符の演奏が困難です。
16小節のテノールも届かなくはないまでも、かなり弾きにくいです。

これらの曲の中で要求される音程はおおむね最大10度です。
10度といえば「平均律」のなかでも時折要求される音程です。
実際にこれらの曲集を独奏している鍵盤奏者がいるのですから、
まったく演奏不可能というわけではないのですが、
果たしてバッハ本人はどのように考えていたのでしょう?
仮にバッハ本人が10度届いたとしても、楽譜を出版するからには
自分以外にも弾いてもらえなければ意味がありません。


2.作曲当時の演奏教本

では作曲当時の鍵盤奏者の一般的な認識として、
片手で10度は届いたのでしょうか?

これについて私は、鍵盤演奏に関する当時の教本を紐解きました。
C.Ph.E.バッハの著書では、運指上の説明に10度はなかったのですが、
演奏表現の説明中に以下のような記述が見いだされました。

「10度や12度でさえも楽に届くという長い指をもち、(中略)
それだけではまだ、(中略)人の心を打つクラヴィーア奏者とはなり得ない。」
(C.Ph.E.バッハ著/東川清一訳 「正しいクラヴィーア奏法 第1部」(1753年))

この記述から、当時の鍵盤奏者にとって10度まで届くというのは、
比較的長い指であると認識されていたことがわかります。
また次の記述では10度の運指が具体的に説明されています。

「多声部楽曲でオクターブ以上に広い場合は、当然のことながらもう一方の手で
補助できない時には必要上あらゆる手段を講じてよい。9度や10度は(これ以上は
広がるまい。非常に長い指が必要になる)小指と親指を使わざるを得ない。」
(W.F.マールプルク著/山田貢監修 「クラヴィア奏法」(1765年))

「9度音程と10度音程は、滅多に現われないし、また誰でも弾けるという
音程ではないが、当然ながら、上鍵と下鍵の別を問わず、親指と小指で弾く。」
(D.G.テュルク著/東川清一訳 「クラヴィーア教本」(1789年))

マールプルクの「あらゆる手段」を見て、バッハが指の足りないときに
棒を口にくわえて弾いたという逸話を思い出してしまいましたが、
それはともかくこれらを見ると、届かない奏者もいるけれど、
届いたとしても10度が限界、というのが一般的な認識のようです。

実際、例えばツェルニー版「フーガの技法」の初期版(1837年)には
運指が付されていますが、上記のような演奏困難な箇所にも特に
アルペジオ、ペダルなどの指示や説明もなく指番号がつけられています。
※IMSLPで初期のツェルニー版を閲覧できますので、ご参照ください。
従って、手が小さく演奏困難な奏者は工夫が必要であったにせよ、
「フーガの技法」は手鍵盤だけで独奏できると考えられていたようです。


3.最大の難所

とは言ったものの、たった一曲だけ、しかもたった一つの和音だけは
10度を超えており、当時の一般的な認識から言っても演奏不可能です。
※S.ラフマニノフなら届くかも知れませんが、彼は例外かと思われますので・・・。
それはContrapunctus(13) a3、すなわち3声の鏡像フーガの以下の箇所です。


3声の鏡像フーガの58小節〜。58小節の3拍目も大変ですが、
次の小節に示した赤い音符の和音はどうしようもありません。

これが鏡像フーガの転回形(鏡像)の方に含まれる箇所なら、
上下転回してこうなってしまい、やむなくそのままにしたとも取れます。
しかしこの箇所は転回前の原形(正像)に含まれているのです。
となるとバッハは、最初からこのような演奏不能箇所があるのを承知で
この曲を作り上げたことになってしまいます。


4.演奏に関する推測

G.レオンハルトは 演奏楽器 に示した論文の中で、
3声の鏡像フーガのみ2台の鍵盤楽器用に編曲されていることについて、
2つの鏡像フーガのどちらも2台の鍵盤楽器での演奏を想定しており、
3声のほうは一方の奏者が一声部だけ受け持つことになってしまうため、
「片手をポケットに入れて」演奏せずに済むよう編曲したと推測しています。

私が鍵盤独奏を検討する中でたどり着いた見解はこれとやや異なり、
どうにも演奏できない箇所を含む3声の鏡像フーガのみ、
2台の鍵盤楽器用に編曲したのではないかと見ています。

いずれにしてもこの問題はあくまで手鍵盤での独奏に関する話で、
足鍵盤つきの鍵盤楽器があればさほど難儀はしないでしょう。
事実バッハは「クラヴィーア練習曲集第3部」において、
手鍵盤用の曲と足鍵盤つきの曲を混在させており、
後者が2段の大譜表で書かれていることすら少なくないのです。
そのことからさらに、上記の演奏不能箇所に関する問題が、
「フーガの技法」に含まれる他のすべての曲の、
鍵盤楽器による独奏を否定することにはならないと考えられます。

バッハにとって、あるいは当時の楽器や演奏習慣において、
一つの曲集を一つの楽器で画一的に弾くことができなかったとしても、
大した問題ではなかったのかもしれません。

では今日私たちがピアノで独奏する際に件の箇所をどう弾けばよいか?
その答えの一つは、すでに1837年のツェルニー版の中に示されています。
またもう一つの可能性を、フェルマータの箇所の演奏で検討しています。


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