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演奏楽器
 
「フーガの技法」の演奏を考える上で、
演奏に用いる楽器の問題を避けて通ることはできません。
20世紀の第2四半期、盛んに議論された問題なのです。

ところが、実は答えは最初から示されていました。
「クラヴィーアやオルガン」こそが想定された楽器なのです。

ではなぜ演奏楽器に関する議論が起きたのか、
事の経緯を以下にまとめてみたいと思います。


1.出版当時の状況

「フーガの技法」出版時の、C.Ph.E.バッハによるものとされる
宣伝広告を Avertissement に示してあります。
ここには「フーガの技法」がクラヴィーアやオルガンで
弾けるように作られたことが明記されています。
かつ文の中でクラヴィーアとフリューゲルが区別されていることから、
フリューゲル(グランド型のチェンバロ)よりも、クラヴィコードのような
当時普及していた鍵盤楽器を念頭に置いていたと考えられます。

またバッハの弟子の一人J.F.アグリーコラが1760年ころに、
「フーガの技法」出版譜に基づく筆写譜を残していますが、
この楽譜は鍵盤楽器用の大譜表で書かれており、
身内のみならず関係者の間でも、当時この作品が
鍵盤楽器で演奏するものと受け止められていたことがわかります。


2.19世紀の演奏受容

バッハの死後、その作品は筆写によって流布していました。
18世紀後半にバッハは優れた鍵盤奏者として知られており、
作品の中でも主に鍵盤楽曲が注目されていたのです。
「フーガの技法」も少なからず筆写譜が残されています。
その反面、声楽曲が演奏される機会はめっきり減って行きました。
それがメンデルスゾーンによるマタイ受難曲蘇演の背景です。

1800年前後にはこうしたバッハの作品を集成する動きが生じ、
「平均律クラヴィーア曲集」をはじめとした主要な鍵盤作品が、
幾つかの出版社から相次いで出版されました。
当時の「フーガの技法」の出版譜として今日よく知られているのは、
H.G.ネーゲリによるスコアで、1803年に出版されています。
その特徴はスコアの下に鍵盤演奏用の大譜表を併記したことで、
このスタイルはのちに旧バッハ全集に引き継がれることになります。

「フーガの技法」の普及に最も貢献したのはC.ツェルニーです。
そう、練習曲で知られるあのツェルニー(チェルニー)ですが、
ペーテルス社による世界初のバッハ作品集成にも携わっており、
特に鍵盤作品においては自ら運指や演奏上の指示を手がけています。
ツェルニー校訂の「フーガの技法」は、鍵盤演奏用の大譜表のみの形で
1837年に出版され、今日なおその改訂版が出版され続けています。
当初は運指も付された実用的で実践的なものでした。

なおネーゲリ版、ツェルニー版のどちらも、「フーガの技法」が
「平均律」に続いて出版されているのは偶然ではないでしょう。
このことは当時「フーガの技法」が「平均律」に次ぐ位置づけの
鍵盤作品として扱われていたことを意味します。

19世紀末までには他にも幾つかの校訂版が出版され、
中にはオルガン演奏用に編曲されたものもありましたが、
依然「フーガの技法」が鍵盤作品として受容されていたことがわかります。


3.20世紀前半の問題提起と議論

20世紀の初頭まで、「フーガの技法」は相変わらず鍵盤作品とみなされ、
かのプロコフィエフが音楽院での卒業試験(1914年)において、
課題である「平均律クラヴィーア曲集」の演奏に代えて
「フーガの技法」を弾いたことも知られています。

そんな状況を一変させたのがW.グレーザーの論文(1924年)です。
彼は「フーガの技法」が時折ピアノの演奏会などで
数曲取り上げられている状況を認めながらも、
鍵盤楽器で完全には独奏できないと指摘、
最初の出版譜に楽器指定がないことや記譜形態などを拠り所として、
「フーガの技法」は楽器指定不明の曲であると主張しました。
このことは、当時すでにC.Ph.E.バッハによる宣伝文句が、
すっかり忘れられてしまっていたことを意味します。

グレーザーの主張は、「フーガの技法」の曲の配列に関する
当時としては画期的な彼の論文とともに注目されました。
すでに「フーガの技法」を刊行していた旧バッハ全集の補巻として、
グレーザーの校訂による「フーガの技法」が
「楽器指定不明」に関する主張とともに出版され、
同曲のグレーザーによるアンサンブル編曲が、トーマス教会で
時のトーマスカントルの指揮のもと演奏されるに至ったのです。

当然ながらグレーザーの主張に対しては、すぐに多くの反論が出ました。
D.F.トーヴィは「この作品が鍵盤様式である事は基本的事実」とし、
一曲ずつ鍵盤演奏用の楽譜(いわゆるピアノピース)を出版しました。
D.F.Tovey, "A Companion to the Art of Fugue"(1931), pp73.
またG.レオンハルトは「フーガの技法」の鍵盤作品としての
特徴を調べ上げ、論文(1952年)にまとめたほか、
自らも鍵盤楽器で「フーガの技法」を演奏しました。

しかし、先のトーマス教会における演奏会で感銘を受けたH.シェルヘンら
何人かの指揮者・奏者らは自ら「フーガの技法」を編曲して演奏し始めました。
「楽器指定不明」との見方は、こうした演奏と旧バッハ全集補巻の普及により、
世界中の学者、奏者に広く受け入れられることになりました。
ついには様々な楽器編成による演奏のブームを巻き起こし、
皮肉にも多くの名演奏を生み出すことになったのです。

こうした動きに関係なく鍵盤楽器で演奏する奏者もいましたが、
「フーガの技法」と他の鍵盤作品とは決定的に区別されることになりました。
しばしば名だたる鍵盤奏者のバッハ録音に「フーガの技法」が
欠けていることを見れば、多くの鍵盤奏者から「フーガの技法」という
傑作を演奏する機会が奪われたであろうことは否定できません。


4.20世紀後半から現在まで

自ら「フーガの技法」鍵盤譜の校訂や演奏を手掛けたD.モロニ―を始め、
様々な学者、奏者などが「フーガの技法」をいかに演奏すべきか主張を重ね、
「フーガの技法」は次第に鍵盤作品として再認識されてきました。
今ではこのことに異論を唱える方は少なくなってきたように思われます。

2000年代に入った現在、CDなどの新録音はピアノが主流となり、
次いでオルガン演奏、時にアンサンブルといったところ。
日本においてもピアノ演奏の機会が増え、国内の出版社からピアノ用に
指番号がつけられた楽譜すら出版されるようになりました。

ただその位置づけは、しばしば「フーガの技法」を演奏する鍵盤奏者から、
バッハの鍵盤作品の中でもとりわけ難解なものと評価されるのを見ると、
かつての「平均律」に次ぐ位置づけとはやや異なってはいるようです。


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