R.A.ムーディという人が、1975年に出版した『かいまみた死後の
世界』のなかで臨死体験を報告して、「臨死体験」が一躍有名にな
った。

 とても信じられない経験なのだが、一例を『人は死ぬ時何を見る
のか』という本のなかから引用しよう。

 かなり実務的で冷静な、デパートの仕入れを担当してい
た女性が、癌のため死の床にあった。この患者は五十代で
あったが、意識は澄みきっており、適切な判断力を保持し
ていた。

 その方は、入口が開いているのを見て、思っ
たそうです。花が咲き乱れ、光や色に満ちあふ
れた、とっても美しいところへ向かっているん
だ、と。「わたしの庭に来なさい」という声が
聞こえたそうです。患者さんは私のことを、邪
魔するんじゃないかとうるさがったり、どうし
てここに入らせてくれないの、と文句を言った
りしました。わたしが患者さんの邪魔をしてか
らは、ご自分が病室にいるのがわかったようで
す。この幻を見てから患者さんは、おとなしく
なりました。幻には感動していましたが、私に
は腹を立てていました。


      この患者は、神のことも宗教のことも口にしなかったけ
     れども、平安が訪れ、「前よりも落ちついて、訴えも少な
     くなりましたし、うわの空という感じでもなくなりました。」

  (カーリス・オシス、エルレンドゥール・ハラルドソン
           『人は死ぬ時何を見るのか』笠原敏雄訳、日本教文社)


 この患者は、死にさいして、彼女がこれから入って行く空間を覗
き込んだようである。そこは「花が咲き乱れ、光や色に満ちあふれ
た、とっても美しいところ」だと報告しているのだが、まだ生きて
いる私たちにはこの感覚は理解できない。にもかかわらず、当の彼
女もまだ「生きている」のだから、臨死体験とは「生きた人間」が
経験する意識の一部であるのに違いない。

 この臨死体験も、意識の上に生じる「常とは異なる」現象である
から、私たちはこれを超常現象であると定義してもおかしくはない
だろう。

 この臨死体験については最近多数の翻訳本が出版されているから、
これ以上の例を引用する必要はないと思われる。

    

 私たちはウイリアム・ジェイムズの案内にしたがって、なん
の疑問もなく人間の心に生じる神秘体験を調査してきた。


 ウイリアム・ジェイムズは超常現象として、「健全な心」と
「病める魂」の二つを取り上げ、この二つにつき諸例をあげて
解説をおこない、この二つを哲学におけるスターティング・ポ
イントとして、プラグマティズムを組み立てた。

 実際、哲学で論議されるときの原体験はこの二つにしぼられ
ているのが現状であると筆者には感じられるが、では人間の心
に生じる超常現象は、この二つであり、これら以外にはないの
かというと、そうでもない。いろいろとある。

 

 たとえば、卑近な例を挙げると、人あるいは物の「気配」と
いう現象がある。

 微かな物音によって触発される気配ならば、五感で感じられ
る感覚であって、それは気配は気配なのだが、確実な根拠があ
る気配である。それとは別に、五感では感じられないのだが心
に感じられる「気配」がある。誰もいないはずの空き家に入っ
たのに、人の気配がする。かなり離れた玄関に人の気配がする。
じっと立っている私に後ろから近づく人あるいは物の気配がす
る。まるで目には見えない電波が私の頭から出ていて、その電
波の反射波を感じとるとか、人の発信する脳波が私に感じられ
る気がするとか、そのような現象については誰しも経験がある
のではなかろうか。

 よく聞く話だが、近親者の死去のときに魂が教えてくれる知
らせ。たとえ、地球の反対側にいたとしても、目をかけてくれ
た親父が死んだときに、わたしの心に瞬時に運んでくる魂の速
達便。これも不思議といえば不思議な現象である。

 一方で、精神のたるんでいる人に活をいれる「気合い」も、
魂から迸り出るエネルギーの伝達作用のような気がしないでも
ない。

 もちろん、「気功」あるいは「気功術」という「気」もある。
「気」の強い人に、身体の上から気をいれてもらうと、まるで
身体の局部の神経を一本一本弾かれているような気持ちがする。
これで持病が治ったりするケースさえある。なぜか、と問われ
ても、答えようがない。

 このように私たちの身近なところに、私たちの心が関係する
不思議な現象が転がっている。これらは科学的な論理構成を超
えた現象であり、私たちが体験する日常の心の現象とは異なっ
ているから、これらを超常現象と断定してもおかしくはない。


 これらの現象を「気」という漢字一文字でくくるとするなら
ば、この「気」については、これを計量する「ものさし」を私
たちは持ってはいない。つまり、私たちの心から生じた現象で
あるのにもかかわらず、私たちはこれらを取り扱いかねている、
といえるのではないだろうか。

画題:Hieronymus Bosch
          "Ascent of the Blessed" c.1485-1505
   Palazzo Ducale, Venezia
      世界美術全集10 『ボス/ブリューゲル』
      集英社、
1978

      臨死体験者がしばしば報告する「渦巻く
      光のトンネルを抜ける」現象を今から
500
      年前のルネサンス時代の画家ボスが描い
      ている。


      森洋子氏によれば、トンネル状の天路は
      シモン・マームヨンの先例があるのだそ
      うだ。
       

          Palazzo Ducale
というのは、サン・マル
      コ広場にある「ため息の橋」がある総督
      宮殿のことだが、さて、この宮殿のどこ
      にこの絵があるのだろうか?