筆者は先に、神秘体験ABの二つとその他の超常現象の間の差異はあるのかという問題を提起したが、(超常現象に到達する人の数は非常に限られていることもあり)、実際のところ、あまり大きな差はないように思える。「鰯の頭も信心から」ということわざもあるように、なにごとも信じてしまえばそれでおしまいである。信心というのは、理屈抜きなのである。


 ただ合理論者が、たとえばカントが、(上に引用した文言にもあるように)好んで「絶対」という言葉を使うことに注目しておきたい。神秘体験
Aのみを経験したひと(量子力学モデルでいうと、A only, 並びにA after Bのタイプ)、あるいは彼等の言葉を信じた人は、「絶対」という言葉とその内容を信じることとなる。日本でも、西田幾多郎はわれわれに「絶対」という概念を教えてくれた、とありがたがる人たちがいるが、一般に「絶対」を信じる人たちは、精神的な傾向に傾く癖があり、自分の「身の程」を無視して際限なく走りがちである。バランスが欠けてくる、というか、「絶対」という架空の(というか、一般の人には把握のできない)概念によりかかってしまい、「絶対」の概念と異なる対象にたいしては、容赦なく弾劾し撃滅しようとする。日本では、戦時中、「鬼畜米英」と国民こぞって斉唱し、ドイツでは「アーリア民族が絶対」と国民こぞって唱えたことも私たちはよく記憶している。絶対という概念はこのように、妥協を許さぬ精神風土をつくってしまう。


 この場合、扇動された人間が馬鹿だった、という見方をとることもできようが、どちらかといえば、「絶対」という概念は正しい、と言い出した人物、「絶対」を大衆に説得した人物により大きな責任があるだろう。

 

 話が横道にそれてしまった。信じる対象は「鰯の頭」でもよいが、信じた結果なにが過去におこったか、と歴史からよく学び、間違いは二度と繰り返さぬ態度が必要かと思う。

 

 ヨーロッパでは、信じることが発端となって、史上最大の人災が生じた。この人災の程度は、日本人がいまだに想像できないほど大規模で徹底的であった。次章では、ルターが出現した後のヨーロッパに、なにがおこったかを調べることとしよう。

間違った認識がひきおこした結果

 しかしながら、このような(一見よいことでいっぱいの)神秘体験Aを唯一絶対とする合理主義こそが、その主張とは裏腹に、後世のドイツにヒトラーを出現させた真の理由ではなかったろうか。神秘体験を主張の根拠とする理論は、ちょうど三位一体論の「聖霊」が西欧において異端審問や宗教裁判を核とする中世の暗黒時代を形作ったように、現世に地獄を現出させてしまいかねないのだ。

 それはさておき、なにゆえにカントがことあたらしく、旧態依然とした理屈をこのような屁難しい論理を使って述べなければならなかったのか。これには時代背景がある。

 彼に先立つこと約百年前、ジョン・ロックという英国人があらわれて「経験論」という経験主義哲学を創始した。彼は「理性による判断」をなによりも優先させた。カントはこの経験主義哲学が気にくわなかった。ドイツ人のライプニッツがすでに反論していたのだが、ライプニッツの論理ではあますぎると考え、完璧な論理を用い、経験主義哲学を完膚なきまでに打破しようと考えた。時に1781年、アメリカではロックの哲学にもとづく独立宣言が公表(1776)されてから五年目で、唯心論の敗北は半ば既成事実化されつつあった。

画題:Henri Rousseau (1844-1910)
          “La Guerre”戦争1894
          La Galerie du Jeu de Paume, Paris
      『現代世界美術全集10 ルドン/ルソー』
      集英社 1971
          ルソー自身の説明。
 
       
「彼女戦争の寓意像は恐ろし気に通り、
      いたるところ、絶望、涙、廃墟を残す。」

 カントは、ことを急いで唯心論にしがみついた。人間の精神の働き方にたいする基本的な洞察力に欠けていた。

 簡単にいうと、カントは次の点で間違いをした。

 1. ただひたすらに、人間の精神上に生じる神秘体験はひとつに限
  られていて、それは神秘体験
Aであると思い込んだ。

 2. 彼は、ルターの登場が宗教界に新しい神の概念を提出したばか
  りか、哲学界にたいしても重大な影響をあたえたことを読みきれ
  なかった。

 3. 彼は、ジョン・ロックの述べた経験論の内容を読み違えてしま
  った。ジョン・ロックが「理性による判断」と簡単に書き記した、
  その「理性」という言葉の定義が間違っている、と考えてしまっ
  た。

 だが、われわれは、カントが簡単なことをことさらに難しく表現し、人を長い間惑わせつづけたことを看過することとしよう。世の中には、難しくてわからぬことを、そこにはきっとなにか崇高で深い奥義があるにちがいないと考え、ありがたがる人たちもいるのである。お経をあげて貰っても、お経の内容はチンプンカンプンなのに、なんとなく「ありがたい」と感じるわれわれ日本人の心境と同じであるから、あまり人のことを悪く言ってはいけない。

 ジョン・ロックの哲学については、あらためて後でお話することとしよう。