西暦650年というのは日本では飛鳥時代
(645-715)ですから白鳳文化の時代と
いう
ことになります。大化元年(645)に大化の
改新があって、その五年後の作品
というこ
とになります。聖徳太子がお亡くなりにな
られてから、28年後という
ことになります
ね。

肌の露出部には美しく金箔が貼られてい
ます。衣の彩色も美しく残っています。

晋の戴逵(たいき)が造った夾紵(ちょま)像の流れを汲んでいるのかも知れません。

美術館で見る現品は黒くて陰惨な感じを
受けますが、こうやってニコンの目を通す
と、この仏像の美しさが顕われてきます。

こんなことが書いてある。


仏陀座像
      パキスタン(昔のガンダーラ地方)
      1世紀乃至2世紀中頃
      青銅、僅かに金箔が残留


ということは、この座像はそもそも仏像とい
うものが作られ始めたも
っとも初期の作品とい
うことか?こんなに初期の作品にお目にかかっ
のは初めてだし、青銅製のガンダーラという
のも驚きです。

はなはだ異常なぎざぎざ光背は、内面から発
する精神的な光を意味す
るものでしょう。

ボストンのハーバード大学のサックラー美術
館にあるSeated Buddha
with Flaming Shoulders
の光背と
雰囲気が似ていますね。

画像

隆興寺には今は宋時代の仏像しか残っていま
せん。中国というところは仏像の保存が政治に
よって大きく影響を受けるので、こうやって西
欧の美術館にくると、僅かに残った過去の残光
を伺うことができます。


では皆様ご機嫌よう。

さらに私の注目をひいたのは、中国産では
ただ一体ではないかと思う乾漆
像です。

仏陀座像
     唐王朝(西暦618-906)650年頃
     河北省正定の大仏寺より招来
     乾漆、鍍金と塗料の痕跡
      Roger資金により購入
     番号19.186

さらに驚いたのは

Gift of Muneichi Nitta, 2003
           2003.593.1

と書いてあることです。

つまり、この作品は2003年に新田むねいちという日本人
が寄付したも
のだというのです。

「新田むねいち」という人は、台湾うまれの日本人で東京
で古美術店を
経営している人らしいのですが、すくなくと
も私は知りません。どなたか
ご存じのかたがおられるでし
ょうか。お尋ねいたします。

GMは先が見えている。Fordしか残らない、と流言が飛ぶ。
   米国はいまや物々交換の時代に逆戻りしている、感じがする。現金をトランクに詰め込んで走り回るしか方法がない。
   しかし、商売は供給面の信用を貫き通すことである。
   だから、わたしたちは、急いでアメリカに来た。

仕事は済んだ。仕事の余録で久しぶりにニューヨークにやってきた。

N e w   Y o r k

                       2009/03/12-14

日本で最古の乾漆像は聖徳太子の磯長陵からあまり遠
くない当麻寺の四天王像
ですから、Metropolitanによる
時代認定は、案外当麻寺の持国天像から来ている
のかも
知れません。




河北省正定の大仏寺というのは河北省正定県の旧城に
ある隆興寺(りゅうこうじ)
のことですね。

直面しているのは信用の収縮である。金融機能の崩壊というのであろうか。昔は簡単に買えた原料が信用で買えない事態に陥っている。

外国からの原料にたいして信用状を開いてくれる銀行はいない。現金を積んで信用状を開いてもその銀行が潰れかねない。「現金で前金を打つ」ことしか方法が残されていない。

Metropolitanも従前通り。名実ともに世界一の美術館。これに匹敵するのはエルミタージュだけだろう。


今回のMetropolitanで目新しい仏像を見つけました。まるで自由の女神を無理矢理結跏させた感じの仏陀座像です。

表面的にはニューヨークは落ち着いている。
   Park St.をニューヨーク市警が締め切って映画の撮影をやっている。
  「誰が死んだの?」と聞いたら
「映画の撮影だよ」と答えが返ってきた。
のどかなものだ。