説明:
『中国の仏教美術』水野清一 平凡社 昭和43

P27

金銅仏坐像
建武四年像

 鏡についでみられるものは金銅仏である。これには製作年次
のはっきりした仏像がある。それはサンフランシスコのドゥ・
ヤング記念博物館蔵の建武四年像で、いまのところ中国最古の
紀年像である。(原色版一、第六図)。たかさ約四〇センチの
坐仏。ほんの小さい方趺のうえにすわっている。方趺のうらに
左の刻文がある。

              建武四年。歳在
              戊戌。八月卅日。
              比丘□□
        業道像□□□
        □□□□□□
                        ・・(六行ばかり破損)・・・
              □三□□□□
              □□□、 、

  建武という年号は、後漢のはじめと晋と後趙と南斉とにある。
そのうち四年で
戊戌の年にあたるのは石虎の後趙よりほかにな
い。するとこの像は西暦三三八年の製作ということになる。た
だ実をいうと、この像はまだ実見したことがない。刻文につい
て確信をもたない。けれども、いまとくにうたがわしい点はな
さそうである。「業道像」の意味はよくわからないけれども、
七〇〇年ごろの造像にはままみえる。それには「業道像五十躯」
とか「業道七躯」とかいうようにいわれている。過去仏のよう
に多数ある仏にちがいない。ずんぐりしたからだ、両手はまえ
にあわせて禅定の印。顔はしたぼそりで、肉髻はやや大きい。
そしてこまかい平行線の頭髪。眼は杏仁形で大きく、まぶた
ふかくほりこまれている。衣は両かたをおおう通肩、あつい大
きいひだむねを中心に抛物線をえがきつつ平行にたれさがっ
ている。くびのまわりを衣端のたまりがショールのようにまい
ている。ひざには衣文がみえず、うでにかかった衣端がはしば
しをとがらしながら、ひざにたれかかっている。

画像:
254
菩薩立像
五胡十六国(4世紀)
伝 陜西省咸陽市三原県出土
銅造鍍金
像高32.9cm
重文
京都府、藤井斉成会有粼館
『世界美術大全集』三国・南北朝 東洋編3
曽布川 寛、 岡田 健
小学館 2000

説明(2)
『世界美術大全集』三国・南北朝 東洋編3
曽布川 寛、 岡田 健
小学館 2000

P458から抜粋

 足を開き気味にしてすっくと立ち、右手を曲
げて掌(たなごころ)を前方に向け、左手に小
ぶりの水瓶(すいびょう)(あるいは香油瓶)
をとる。およそ
3~4世紀ころのガンダーラの仏
像に淵源があり、現存する金銅仏のなかでは、
もっとも古い形式を示す作例の一つ。
各部位の
様態から臘型(ろうがた)鋳造になるとみられ、
また、多孔質の肌や粉緑色の錆(さび)、さら
に暗黄色をした地金といった諸点によって、鉛
の含量の多い青銅が使用されたと考えられる。
五胡十六国から南北朝にかけての金銅仏は、ふ
つう、鉛の含量が少ない青銅が用いられ、砂型
鋳造になると推測されるが、そうした通例とは、
かなり異質な特徴をもつ。中国陝西省出土と伝
承されるものの、かならずしも中国製とは限定
できず、中央アジアにおける制作ととらえる見
解が提出されている理由である。(松本伸之)

説明(1)
『中国の仏教美術』水野清一 平凡社 昭和43
P36

 このあたりでもうひとつ問題にしなければならぬ金銅仏があ
る。それは藤井有隣館のガンダーラふうな仏像立像と松本徴古
館の仏立像であろう。・・・・

 有隣館の金銅菩薩立像(図版八)は、たかさ三三センチ、陜
西省三原県の出土という。蓮座のうえに立っていたらしい。い
まはただ足につづいて蓮肉の台があるばかりである。これがし
たぼそで、はめこみのほぞになっている。足をすこしひらいた、
いわば経行像。からだつきはがっしりして、均衡もよい。顔は
威厳があり、よくととのっている。肉づけもこまかい。それに
あつぼったい衣がこしをつつみ、かたにまとい、うでにかかっ
て、そのはしが多少左右にはねかえっている。なかなか写実的
であって、ガンダーラのおもかげをよくたもっている。うで
はうでわをはめ、むねにはかざり板のくびかざりをつけ、また
玉をつらねたくびかざりもたれている。服装は完全なガンダー
ラふう。頭は小さいたぶさをつくり、あとはうしろにたれるが、
はえぎわはたばねた毛をよじ、それをかたにまでたれかけてい
る。毛髪は整然たるほそい平行刻線であらわし、ウィンスロプ
像にちかい。右手はあげて掌をひらき、左手に澡瓶をもってい
る。ガンダーラ図像でいえば弥勒菩薩であろうか。足にサンダ
ルをつけているのもガンダーラ直輸入である。中国の仏菩薩で
サンダルをはいたのは、ついぞみたことがない。

 ・・・・・まったくガンダーラふうで、・・・・ウィンスロ
ップ像以前ということになる。・・・・

P44

  三〇〇年前後、仏図澄のころにはどうなったか。このころで
はすっかり面目を一新した。まったくガンダーラふうの立像、
坐像が盛行した。

P54

  中国製と解した方がより適切かとおもう。中国製だとすれば
三〇〇年前後の年代が妥当であろう。

中 国 の 仏 像 (1)

なお、第一図のウィンスロプ像については、次の
資料を参考とせよ。

鳩摩羅什が弘始四年二月八日、長安で訳出した
『阿弥陀経』

中国の仏像(1) と中国の仏像(2)については画像への理解を深めることを
目標としており、すべて原典の引用から成り立っていますので、ご注意
ください。

羅什はこの『阿弥陀経』の訳語のなかで
「焰肩」という訳語を用いているが、これ
は梵語の
arciskandhaの訳語であり、普通に
訳せば「焰のかたまり」であるから「焰の
蘊」「焰の聚」と訳されなければならない
のに、羅什は何故焰の肩と訳出したかとい
うと、それは羅什が亀茲に滞在している時
に肩から焰が出ている仏像を見ており、平
生見ていた仏像の相(すがた)からヒント
を得て「焰肩」と訳したのであろうといわ
れている。・・・・

鎌田茂雄『中国仏教史』第二巻 受容期の仏教
              東京大学出版会
1983 P267

 なお、the Sackler Museum, Harvard University
に収められている現物は次のスタイルらしい。

説明:

『中国の仏教美術』水野清一 平凡社 昭和43

P29

ウィンスロプ像

 様式のうえで、このもとになったとおもわれるものはニュ
ーヨークのウィンスロプ
(C.G.Winthrop)氏に帰した金銅坐像
(図版六)である。これも前者と同様に石家荘方面からの将
来とつたえているから、石趙の勢力圏内である。全高二三・
七センチで、刻銘はない。方趺はひくく、左右に獅子、まん
なかに瓶中の供養花がある。これも中国にめずらしいガンダ
ーラふうである。左右側面にまわって比丘形の供養者が燃灯
をもち、蓮枝をもって立っている。前者におなじ禅定の手印
であるが、大きな指がこまかく写実ふうにあらわされている。
からだも全身通肩の衣におおわれながら、むねはらのふく
らみは自然で、わきしたのくぼみも大きくあらわされ、うで
の緊張は衣のうえからよくうかがえる。そしてその衣のひだ
がはるかに写実的である。建武四年像のごとく平板をかさね
たようなひだでない。隆起線のひだである。それがまた機械
的な抛物線でたれさがるのでなく、右肩からまいた衣を左肩
にかけたように、すこぶる自然に処理されている。くびのま
わりにみえる衣端のかさなりも、左まえでは一定のはばにひ
ろがっているが、右まえではせまい一本の隆起線でしかない。
と同様にひざまえの衣端、うでにかかった衣端も、建武四年
像よりははるかに写実的にあつかわれている。さらに頭部で
あるが、これには平行したこまかい刻線の頭髪があり、また
大きな杏仁形の、まぶたのふかい眼がある。これも建武四年
像におなじであるが、より写実的といえよう。鼻、口のプロ
ポーション、いな顔全体のプロポーションも、この方がはる
かによくととのっていて、まったくガンダーラふうである。
大きなふさふさしたひげのあることも、またガンダーラ的で
ある。

 建武四年像にくらべて本像は、あらゆる点からガンダーラ
的である。しかも建武四年像はこの像からいろいろな形式を
うけついでいることがみとめられる。わたくしはこの像を建
武四年像のかなり直接的な祖型であるとみる。そしてこの像
は建武四年よりふるいもの、いいかえれば三〇〇年代初頭、
あるいはそれよりいくらかさかのぼった二〇〇年代のものと
おもう。

画像:
261
如来坐像
五胡十六国(4世紀)
伝 河北省石家荘市出土
銅造鍍金 高32.8cm 幅24.2cm
アメリカ、マサチューセッツ州、ケンブリッジ
ハーバード大学サックラー美術館
『世界美術大全集』三国・南北朝 東洋編3
曽布川 寛、 岡田 健
小学館 2000

Asian Art Museum of San Francisco
http://www.asianart.org/
に詳しい写真が掲載されている。

画像:
石趙建武四年金銅仏坐像 338
De Young Museum, San Francisco
『中国の仏教美術』水野清一 
平凡社 昭和
43

http://ieas.berkeley.edu/events/2005.11.02.html