別の例を挙げよう。
明治42年10月、東京府立第三中学校五年生、17歳の青年が日光へ修学旅行に行ったときの印象記である。
○ 戦場ヶ原
枯草の間を沼のほとりへ出る
黄泥の岸には 薄氷が残ってゐる 枯蘆の根には煤けた泡くがか
たまって 家鴨の死ンだのが其中にぶつくり浮かんでゐた どん
よりと濁った沼の水には青空が錆ついた様に映って ほの白い雲
の影が静に動いてゆくのを見える
対岸には接骨木めいた樹がすがれかヽつた黄葉を低れて力無ささ
うに水に俯いた それをめぐって黄ばむだ葭が哀しさうに 戦い
て其間から淋しい高原の景色が眺められる
ほヽけた尾花のつヾいた大野には 北国めいた 黄葉した落葉松
が所々に腕だるさうに聳えて 其間をさまよふ放牧の馬の群はそ
ヾろに我々の祖先の水草を追うて漂浪した昔を想ひ出させる 原
をめぐった山々はいづれも侘しい灰色の霧につヽまれて 薄い夕
日の光が僅に其頂を濡してゐる
私は荒涼とした思を抱きながら この水のじくじくした沼の岸に
佇んで独りでツルゲーネフの森の旅を考えた そうして枯草の間
に龍胆の青い花が夢見顔に咲いてゐるのを見た時に しみじみあ
の I have nothing to do
with thee と云う悲しい言が思ひ出された
(『芥川龍之介全集』第二一巻、岩波書店 1997)
斉藤宗吉が21歳のとき、東北大学医学部の学生の身分で、仙台の下宿でノートに書き付けた一片の詩を引用しよう。
病葉(わくらば)
絶間のない律(おきて)の
しづかにめぐる林の奥に
枯れ沈んだ色を眺め
死にかかった木の葉の
冷たい和声を聞いてゐる。
いかなる故郷も宿らない
やつれはてた 私の内景
うるはしい自然の循環から
ぽつりと除かれた私の外景
枯れ沈んだ想ひの中に
林は金の葉を蒔(ま)き散らし
私は癒(いや)しがたい病葉(わくらば)となって
安らひもなく震えてゐる。
(北杜夫全集第一巻、新潮社、昭和52年)
画題:Egon Schiele
(1890-1918)
『ヒマワリ・U』1909
油彩 カンヴァス
ウィーン、市立歴史博物館
クリストファー・ショート
『シーレ』
松下ゆう子
西村書店 2001
この詩には、21歳の青年が当然もってしかるべき溌剌さが失われている。新緑で満ち溢れた林のなかで、この青年が見つける美しさは、新緑の若緑ではなく、地面に散り敷く腐りかけた枯れ葉である。外界は寒々としており、暖かく私をつつみこむやさしさは見当らない。わたしの心が冷えきっている。冷えきった心は林に金の葉を蒔き散らす病葉のように冷たく震える……と彼は歌う。
受験勉強の後遺症であるかもしれない。書物の乱読による精神の疲れが原因なのかもしれない。原因はともかく、彼の心は死んでいる。死につつある。死へとむかう雰囲気がある。
弱冠17歳の学生、今で云うなら高校生の芥川龍之介は、周囲の学生仲間、引率の先生、昼食のおにぎり、先夜の宿屋のことなど、普通の学生が感じるような日常感覚は、さっぱりと心のなかにない。
かれの心は、戦場ヶ原の光景に投影する自分の心に執着する。
天気は晴れ。快晴にちかい晴れで、目に入るのは一面の黄色く枯れた蘆の原っぱと、澄み切った青空と、点在する沼に映る空の青である。遠くには黄葉した落葉松の林が見え、それを背景に放牧の馬が散策している。まるで絵葉書のような絶景である。
これを彼の心は絶景であるとは見ない。
彼の見るのは、枯蘆の根元の煤けた泡沫(あぶく)と沼の中に浮かぶ、薄汚れて死んでいる家鴨であり、沼の水は濁り、青空は錆びついている。
自然は暖かく私を受容するのではなく、冷たく私を突き放す……と龍之介は観じる。
接骨木(にわとこ)の樹の黄葉は低れて力無さそうに俯いており、葭は哀しそうに見え、黄葉した落葉松の聳えかたは腕だるそうだ。
龍之介の心からは活力がすっかり抜けてしまって、眼前の光景も力無く、俯いて、哀しく、だるい。
現実は私には関係がない。私に感じられるのは、「現実からの遊離感」とか「現実からの乖離感」であり、遠く離れてしまった現実が私の感じた戦場ヶ原である……と龍之介は報告する。