このように神秘体験Bのパターンを描き、これを神秘体験Aと比較してみると、神秘体験AとBとの間に顕著な差がひとつ観察される。
神秘体験Aの場合は、励起状態に飛び上がった電子が基底状態にもどるとき電磁波を放出するように、励起状態にいったん上がった心はその落下のときに喜悦の感情を放出するのであるが、神秘体験Bの場合は、マイナスの励起状態に落ち込むときにはなはだしい苦痛、魂が絞りあげられるような苦痛、が生じ、心がマイナスの励起状態からマイナスの基底状態にもどるときには、苦痛を感じない。むしろ、襟首を掴まれて水中から引き上げられるのに似た安楽な感覚のようである。
なぜかという理由については、量子力学者はなにも教えてくれない。科学者の頭脳は単細胞で、マイナス領域のことまで考えが及ばないのだ。
このマイナスの神秘体験はたとえば、鳴門の大渦に巻き込まれ、水面を流れている状態から、一挙に水面下にひきこまれた状態と表現できるかもしれない。それは瞬間的な位相の変化である。平面の二次元空間から深さが加わった三次元空間への変化である。もうそこには肺をふくらませて吸い込むべき空気は存在しない。あなたにできるのは、ただ息をつめて、水面下の光景を眺めるばかりのように見える。
それがいかに苦しかろうと、それが原因で死ぬことはない。テレサは心臓に金色の矢が射ち込まれた。苦しさにあえいだ。が、死にはしなかった。玉城康四郎も無間地獄に堕ちた。が、死にはしなかった。彼が亡くなったのは、平成11年1月14日であって、単に風邪をこじらせた結果であった。テレサが亡くなったのは、1582年10月、スペインのアルバ・デ・トルメスであり、死因は老衰だったと思われる。
だからこれは物理的な「死」ではなく、魂の魂による「死」の経験なのである。魂が持つ本質の経験なのである、と考えざるをえない。
以上の諸例を勘案すると、私たちは神秘体験Aで類似パターンとして作成した量子力学モデルを拡大延長させる必要性に迫られる。
筆者はあるべき神秘体験Bのパターンは次図で示されると思う。
上図にしたがって解説してみよう。
(1) 抑圧された心の状態
暗く、みじめで、出来る
ことなら死んでしまいた
い。その状態をつづける
と、
(2) 急落状態 それはある一時点で、ス
トンと落下する。甚だし
い苦痛が本人を襲う。
(3) 魂の停止状態 そこは闇、あるいは明暗
の逆転した写真ネガの状
態。
(4) 魂の回帰状態 喜びもない、苦しみもな
い。襟首を掴んで引き上
げられる状態。
(5) 抑圧された心の状態 元(1)の通り。驚きで心の
抑圧状態も気にならない。
画題:座る鳥人間、
古典期 マヤ文化 600-750年頃
メキシコ、パレンケ博物館
青柳正規
『世界美術大全集』第一巻
小学館 1995
この異形はいったいなんだ。
マヤの人たちは、
これをも人間の一面であると考えたのか。
身体は確かに人間だ。
だが、魂の宿る頭の部分が異なっている。