具体的には、ここで二つの方法があることは筆者の挙げた例から読みとれるだろう。

 ひとつは、林武、白隠のように、よく道理をわきまえた人間にアドヴァイスを求めることである。林武は森田正馬に助けを求めた。白隠は正受老人にアドヴァイスを求めた。人は驕り高ぶる人間をたたくが、このように懊悩極まった人間にはかならず助けの手を差しだすものである。

 もう一つの方法は、躊躇逡巡するままに、行動をとらずに、考えつづけることであろう。あなたは自分のおかれた場所が孤独であるからとか、誰の助けも得られそうにないからとか、相談相手がいないからとか、ありとあらゆる口実をみつけて、自分の絶体絶命状態を正当化しようと試みる。

 しかし、人間はただなんとなく生きて歴史を刻んでいるのではない。つねに知恵を集積した、いわば高度にシステム化した公文書館に生まれたようなものである。おなじことを考えておなじように躊躇逡巡した人間がいる、あるいは過去に存在したはずだ、と考えてもおかしくはないし、実際にトレースするのもむつかしいような杣道の痕跡がのこっているのだから、なにか自分で解決する方法があるはずだ、と考えてもおかしくはないだろう。


 つまり、もう一つの方法とは、自己解決であり、じっと堪えて堪えて、考えて考えて、考え抜くことである。これは苦しい道程だが、ほどなく極点に到達できるものである。

到 達 す べ き 極 点

 斎藤宗吉は、自らの心の内部に生じた求心力を正しいことであると信じた。それは「私のもの」であったからである。

 この求心力に身をまかせることも正しいことだと信じた。

 したがって、正しいことを実行しない人間は、腰抜けであり、卑怯であり、自分をあざむくことであり、醜いことであり、馬鹿面をした碩学という名前のじじいにすぎない、と断定した。

 私には正義というものがある、と信じた。

 しかも私には、先達がいる。それは藤村操だ、と(文面には書いてないが)彼は思う。

 だが、現実にその求心力に身をまかせ、渦の中心に近づいてみると、そこは腥ぐさく、「眼ヲヒラケバ、ドギツイ暗黒」である。「底ノナイ腥グサイ ゾットスル空莫」である。思わず腰がひける。

 ここで実行するか、しないかの判断が求められるのである。


 昭和
24 215日、斉藤宗吉は日記に次のように記した。


 アドルムの箱、安っぽい箱。キラリと光る硝子の容器。白けきったかたくなな錠剤。飲み込んだあとの目つき。そのやるせない目つき。今にもどこかがこわれそうな目つき。
    (北杜夫『或る青春の日記』、中央公論社)


 アドルムとはなにか。現在販売されている薬品辞典には記載が見当らない。薬品辞典といえど、商標までは記載していないからかもしれない。同書
369頁を読むと、アドルムは、呑めば「眠りにひきずりこまれる」と書いてあるから、多分睡眠薬なのであろう。

 道がある、進むべき道がある、と思えば進めばよい。そこで躊躇逡巡するならば、これを自分が間違っていると思わずに、逡巡する自分が正しいと考え直し、そこにどのような道理があるか、ありうるかを考えねばならぬ。

画題:Paul Klee
          "Tod und Feuer"、死と火
          1940
     Paul Klee-Stiftung, Bern
         カンヴァス世界の名画23
        『クレー』
         中央公論社 1975

         蒼白いされこうべ。
      かすかに生の光をとどめる
      黄色い球を持つ。

    右の方から杖を手にした男。誰?