ここまではよかったのだが、彼は吸い込まれなかった。


 彼は、この時点でどういうわけか突然宗旨変えをしてしまい、内観法をとりやめ、クロールプロマジン哲学を採用するに至った。クロールプロマジンというのは分裂症(統合失調症)に特別の効能をあらわす薬であり、すべての分裂症類似症状については、クロールプロマジン何ミリグラムでことは解決する、という「薬物による外部観察方式」に乗り換えたのである。


 おおよそ、人間の心のなかにありうべき道理を自ら究めることなく、外部から与えられた既成概念に頼ることは、これを人は哲学とは呼ばず、宗教と名づけるものであるから、この時点で北杜夫が採用したのはクロールプロマジン哲学ではなく、正確にはクロールプロマジン教であった、というべきである。


 昭和
35年芥川賞受賞作品『夜と霧の隅で』のなかで、精神科医ドクター・ツェードリック・ラードブルフは高島の主治医カール・ケルセンブロックに対して次のように言う。


 ケルセンブロックは無言で立ちつくしていた。
 「君は人間自体にあやまった信仰を抱いているのじゃないか。そりゃあ君、僕だって患者たちが天から与えられた寿命をすごせる時代を待ちのぞんでいるよ。しかし人間についての僕の考察をいえば、この時代やこの戦争が特に暗黒な目をおおう時代とは思えないね。人間の文化、道徳、殊に進歩に関する概念なんてものはたわごとだ。人間の底にはいつだって暗い不気味なものがひそんでいるのだ」。
   (『北杜夫全集』第二巻、新潮社、昭和52年)


 ケルセンブロックは答えないで考えている。このラードブルフの論理のどこが間違っているのか、読者にはご自身で考えていただきたい。

斎 藤 宗 吉 の 躊 躇

鳴門の大渦が突然に回転を止めて、平穏な海面にもどることもたまにはあるのだろう。たまたま海流の流れが停止する時点にきていたのかもしれない。渦の両端における海面の高さが平均化したことを意味するのかもしれない。この詩を書いた時点、多分昭和25 9月か10月頃のことであろう、彼の心の渦は突然にその動きを止めたのであるが、その停止の直前に彼はこの詩を書き上げたと思われる。


 彼は、あきらかに渦の内部を観察した。そこは暗かった、と彼は報告する。そこには誰もいなかった、天使もいなかったし、悪魔もいなかった、ただ暗さがあった。覗きこんでみたが、底がないように見えた。腥ぐさい匂いがして、異臭を嗅いだ、とある。医学生なら御馴染みのあの匂いだったのである。そこには触れるようなものはなにも無かった。ただ空漠だった、と報告する。


 そのような客観的な報告の外に、彼は内観の観察をも行う。それは強烈な求心力であり、魂が吸いこまれる感覚であった。


 このような内面の求心力を、馬鹿面の老学者はいかにももったいぶって、「間違いだ」と指摘する。白髪で老眼鏡をかけた博識の老学者とは、アウグスティヌスのことを指しているのである。彼はアウグスティヌス以来着々として築かれてきた既成概念の全てを否定する。

画題:Henri Regnault (1843-1871)
          "Execution sans jugement
              sous les rois maures de Grenade"

          1870
         Musee d'Orsay, Paris
          "Paintings in the Musee d'Orsay"
         Michel Laclotte
         Editions Scala 1986

     「死」はおもわず人を戦慄させる。
      本当は親しい友なのかもしれないのに。