この白馬寺伝説は現在では否定されている。その理由は、

1.   フランス人の東洋学者Mr. Henri Masperoが主張したこと
なのだが、この伝説の根拠となっている『四十二章經』
が後世作られた偽作であることを証明した。

(ただし、私自身は、この論文を読んでいない。






2.      後漢書の明帝の箇所には本件に関する一切の記載がな
い。

3.      東京帝国大学の教授だった白鳥庫吉氏が詳しく調べた
   結果が、『西域史研究 上』岩波書店
1941 P489に報告
   されている。明帝伝説は否定され、前漢の末、紀元前
2
   年か3年に、すでに支那に仏教が伝わっていた、との白
   鳥説が紹介されている。

  漢の明帝が夢で金色に輝く神人(仏)
を見たという伝説。『牟子』理惑論に
見える。これが仏教が中国にはいった
最初の契機とされる。「項に日の光」
とは、いわゆる光背のこと。
 
 仏の具えているめでたい相好の一つ
で、白く抜きんでて生えた眉毛。下句
の「紺髪」も寿相の一つで、紺青の頭
髪をいう。

  明帝は生前に築かせた顕節陵に仏の
図像を描かせたという。やはり『牟子』
理惑論に見える。
  『魏書』釈老志に、「晋の世、洛中
の仏図は四十二所なりき」とある。

画像:2004/10/10撮影

門前に紹介文の石碑が立っている。大意は次
のとおり読み取れる。

 中国の洛陽の街に白馬寺という観
光名所がある。

 紀元前六、五世紀の古代インドの王子
ゴータマ・シッタルダが創立した仏教は、
東漢(後漢のこと、
25-220AD)の明帝
の時代、永平十年(紀元
67年)に洛陽に
渡来して、白馬寺が建てられた。したが
って中国の最初の仏教寺院ということに
なる。

 項(うなじ)に日の光を具えた仏が夢に現われ、
その満月の如き顔(かんばせ)が輝きわたってから
は、洛陽の開陽門に白毫の仏像を荘厳し、御陵に紺
髪の仏のお姿を描くことになり、それ以来、人びと
は争って仏に帰依し、かくてその信仰は中国に広ま
った。下だって晋の代の永嘉年間
(307~312)には、
はまだ四十二だけであったが、わが大いなる魏の天
下となって、洛陽に都を定めてからは、その崇信は
いよいよ遍(あまね)く、教えはますます盛んとな
った。

画像:白馬寺境内 2004/10/10撮影

 ちなみにインドの僧侶、摂摩騰と竺法蘭のふた
りは死ぬまで白馬寺に暮らしたようで、二人のお
墓が寺院内にある。

仏 教 の 伝 来 (1)

 参考までに、
『支那佛教史研究―北魏篇』塚本善隆 弘文堂書房 1942
から、P384
   北魏洛陽城圖(楊守敬水經注圖ニ據ル)
を借用しておこう。
 中国で仏教が最高に栄えた時代の一つである「北魏」時
代の洛陽の地図だ。

 図中、西の城壁外側に白馬寺が記されている。
 後漢から北魏の時代にかけては、洛陽の位置は現在の洛
陽とは随分隔たっていることに注意。

 入矢義高氏の注によれば、

「項に日の光」





「白毫」



「御陵」


「寺はまだ四十二だけ」

 なお、『洛陽伽藍記』楊衒之 入矢義高訳注(東洋文庫
517 平凡社 1990 P7)に仏教伝来に関する美しい記述を見出
すことができる。

Henri Maspero
Le songe et l’ambassade de l’empéreur Ming (Bulletin de l’Ecole Française d’Extrême-Orient, tome X.)
Les origins de la communauté boudedhiste de Lo-yang (Journal Asiatique, vol. CCXXV.)

 白馬寺は仏教が中国に入ってきて最初に設
立された官幣寺である。

 白馬寺は東漢永平11年(西暦68年)に創建
された。

 歴史によれば東漢7年、漢の明帝は夜、金色
の人間の夢をみた。そこで西域に使者を派遣
して仏法を求めさせた。西暦
67年、漢から派
遣した使者並びに印度の高僧ふたり、摂摩騰
と竺法蘭、が白馬に経巻と仏像を載せて洛陽
に到着した。

 漢の明帝はこれを歓待した。
 西暦68年、明帝は勅令を発布して洛陽の雍
門の外に僧院を建設した。

 白馬が経巻を運んできたことを銘記するた
めに、この僧院を白馬寺と名付けた。

画像:中国洛陽市郊外白馬寺の入場券

画像:
張匡造菩薩銅像
北魏神龜元年(公元518年)通高24.6cm
上海博物館
中国古代雕塑館

 『洛陽伽藍記』という本は、時代も下がって魏の時代、
武定五年
(547)丁卯の歳のころ、期城郡守(期城郡の郡長
か?)をやっていた楊衒之という人が書いた本で、魏の
最盛期で都が洛陽にあった時代、西暦
500年ころには、仏
教がおおいに栄え、洛陽には大伽藍だけでも
43あった、
と記している。その
43の大伽藍を一つ一つ詳説している。

画像:摂摩騰の墓、2004/10/10撮影