中国の八仙

「道教の神々」窪 徳忠(講談社学術文
庫)より

中国でおめでたい図のひとつとして、人びと
の人気を集めているものに、八仙の図がある

八仙には酒中八仙、蜀の八仙などもあるけれ

ども、いまもっとももてはやされているのは、
明の太祖の孫の周憲王が一四三二年につくっ
たといわれている、「八仙慶寿」という題の
雑劇にもとづいたもので、呂洞賓を中心に、
漢鐘離、張果老、韓湘子、李鉄拐、曹国舅、
藍采和、何仙姑の八人の神仙を描いた図であ
る。

 金箔は道教の先祖である葛洪(Ge Hong )並びに仙人のひとりである呂洞賓(Lu Dongbin )によって発明された、という伝説がある。



 ある日、この二人の隠者が漂浪生活から帰っ
てきて、石城(南京の別称)の近くの揚子江の
ほとりで休息していたのだが、全ての寺院の仏
像が粘土で塑像され、あるいは木から彫り出さ
れていて、あまりにも陰気で貧相であることに
気づき、仏像の黄金化の技術について討論を始
めた。この二人は道家の金剛功(武家の気功)
を使って金を石鹸の泡の薄さに延伸して、これ
を(健康法の)気功を使って仏像に貼り付ける
方法をでっち上げ、この難問を解決した、とい
うのである。


 伝説によれば、葛()は練丹家(錬金術師)
であり、呂は北五祖と呼ばれる八仙人のひとり
であった。彼らは揚子江の河縁の岩の上に腰を
おろし、指であごひげをねじりながらはてさて
何をしようかな、と考えていた。とつぜん、こ
のふたりはあたかも暗黙裡に了解したかのごと
く、懐からそれぞれ小さな金塊をそれぞれ取り
出すや否や、同時に巨岩の上でそれを押したり
引いたり、打ったり、叩いたりした。するとそ
れは一陣の煙霞とともに多数の金の板へと変じ
た。

 同じく金陵金箔股?有限公司のbrochureのな
かに見つけた伝説なのだが、


 南京は昔から中国の金箔屋が集まっていると
ころであり、かつ揚子江に面している。


 そこで次のような伝説がある。

葛洪煉丹図
中国の晋代の道教理論家・医学家・煉術家。
もっとも好んだのは神仙導養(仙人になるための
導引・養生の法。)の法だと伝えられています。

錬丹や不老長寿の神秘的学問を追及した人物です。

http://img103.ac.yahoo.co.jp/users/3/6/5/8/lushan307-imgbatch_1073658278/400x300-dsc08634.jpg

呂洞賓(りょどうひん)とは一体誰か?

 山西省の蒲坂永楽鎮出身で、唐の徳宗の貞元十四(798)年四月十四日誕生だという。二十歳のときに科挙の試験をうけるように推薦されたけれども、試験に落第してしまった。それでも、しばらくして五峯盧山の県知事に任命された。ある日、廬山に遊びにいったら鍾離権に出あい、終南山につれていかれて、山中で前後十回に及ぶ試験を課せられた。それを無事パスして、天遁の剣法や龍虎金丹の秘法などを授けられ、純陽子という道士の号も与えられた。

  すでに日も傾いたので、呂は八仙人の残りの連
中と落ち合うために(仙人の棲む)蓬莱山へと去
った。


  一方、葛洪はそこに留まり、錬金術と大極気功等の十八武功(武闘気功)を用いて金箔の打箔技術と仏像の装飾技術を完成するに至った。そこで葛洪は揚子江沿岸かつ彼の隠遁所宝貨山の周囲十里以内の領域で、仏祖である釈迦牟尼(しゃかむに)と発音の似た家族をえらび、金箔製造技術を伝授したのである。このようなわけで、金箔製造の職人たちは今でも葛洪を始祖と尊称しているのである。

画題:
金陵金箔股?有限公司の
brochureから

南 京 に の こ る 金 箔 伝 説

画像:
http://www.linet.gr.jp/~kojima/Kyogokudou/8sen.html