仏 教 渡 来 以 前 の 使 用 例
双層九子漆奩
前漢
1972年湖南省長沙市馬王堆1号墓出土
木・漆
高さ20cmm、口径35.2cm
湖南省博物館
黒漆を塗り金箔を貼り付けた後に、紅・白・金色の油彩で雲
気文が描かれている。器は上下二層に分かれている。上層に
は絹製の手袋3組・スカーフ鏡入れ・パフと付け髪が、また
下層の9つの小箱には胭脂(化粧用の紅)・白粉などの化粧品
と、象牙製、ツゲ製の櫛が納められていた。白粉・頬紅・口
紅を塗ることは、漢代の高貴な女性にとっては一般的な化粧
法であったようだ。晋・顧愷之の「女史箴図」に描かれてい
るように、高貴な女性は漆塗りの豪華な化粧箱を愛用し、美
しく装ったのだろう。出所:「世界四大文明・中国文明展」
(写真は「金王冠帯」 出所 前掲 「よみがえる四川文明-三星堆と金沙遺跡の秘宝」
共同通信社)
4. 臨淄
山東省の臨淄で発掘された東周時代(紀元前771年以降、春秋戦国時代のこと)の墳墓から発掘された金箔には、蟠(はん)竜(りょう)(地上にわだかまってまだ昇天しない竜)が刻印されていた。 (南京金陵金箔)
臨淄は「りんし」と読む。この蟠竜文の金箔についても、これ以上の記述はみあたらない。山東省博物館に行けばよいのだろうか。
5. 長沙
金箔は衣服にも使われていた。湖南省長沙の墳墓からは金箔と金粉を使った服装が発掘された。(南京金陵金箔)
長沙については下記を参照すること。
http://abc0120.net/words/abc2007072204.html
馬王堆漢墓
前漢
湖南省長沙市]
馬王堆漢墓は前漢初期に長沙国(前漢の諸侯王国)の丞相であった軑侯利倉とその家族の墓群である。1972年~74年の発掘によって2号墓が利倉の墓、3号墓が息子の墓、1号墓が利倉の妻の墓であることが明らかになった。3墓はすべて竪穴式の木槨墓で、最初に発見された1号墓は最も規模が大きい。墓室の周囲には、防湿用の木皮と粘土質の白膏上が敷き詰められていたため、保存条件は非常に良く、出土時軑侯夫人の遺体の肌には弾力さえあった。保存状態が良好であった1号墓と3号墓からは、漆器・木俑・楽器・絹織物・彩色帛画などが出土している。出所:「世界四大文明・中国文明展」
1971年湖南省長沙市で病院の工事中、労働者が地下室を掘っている時に、偶然馬王堆漢墓が発見された。中国湖南省長沙市の東郊外約四kmの地点。(出土品は多分湖南省博物館に収蔵されているのだと思う。)
金王冠帯(金の王冠)
商晩~西周時代 前14~8世紀
2001年成都市金沙遺跡出土
金製
直径19.6~19.9cm、幅2.7~2.8cm、厚さ0.02cm、
重さ44g
成都市文物考古研究所蔵
60cmあまりの金箔の帯に図案が線刻されている。直径
20cmほどという大きさから腰のベルトではなく頭の王
冠につけられたものと考えられている。金箔上の図案は
、矢と鳥と魚と円形の図案がセットになり、これが四回
繰り返される。鳥と矢のモチーフは古代蜀王の「魚鳧」
(水鳥)を表現していると考えられるから、この金の飾
りもやはり王権の象徴だろう。この図案は三星堆出土の
「金杖」のものとほぼ同じだが、「金杖」では2つの人
頭だったところが円形の図案になっている点が違う.この
円形の図案の意味は不明だが、三星堆の円形鋼掛飾に見
えるものと非常によく似ている。この王冠)金飾りと三
星堆の出土品との類似は、金沙遺跡の人々が三星堆の文
化を何らかの形で継にしていたことをものがたっている。
出所:「よみがえる四川文明」
3. 金沙遺跡
金沙遺跡の文物は2001年に、3000年前の古
代蜀王国の文物1200件あまりが出土した。そ
のうち、黄金製品、玉器、青銅器、象牙など
が有名、特に金箔の太陽不死鳥が中国古代文
物を代表するシンボルマークになっている。
現在も遺跡付近で宮殿や墓地などの新しい発
見が相次いでいる。金沙遺跡の発見は21世紀
一番偉大な考古発見の一つと見なされている。
http://abc0120.net/words/abc2007040505.html
太陽神鳥金箔飾
商晩~西周時代 前14~8世紀
2001年/成都市金沙遺跡出土
金製/外径12 5cm、内径5 3cm、厚さ0 02cm、
重さ20g
成都市考古研究所蔵
図案は12本火炎をもつ太陽を四羽の鳥がめぐってい
る。0.2mmの薄い金箔は、漆器などに貼り付けた装
飾だったのだろう。太陽の図案は、三星堆祭祀坑出
土の大型神樹(一号神樹)、太陽形器などにも取り
入れられている。たま、火炎をもつ太陽は、金沙遺
跡出土の青銅立人像が頭上に戴く冠の形と似ている。
三星堆や金沙遺跡では太陽の祭りが重要な意味をも
っていたようだ。2005年8月16日、中国国家文物総
局は四川省成都市金沙遺跡に出土された「太陽神鳥
金箔節」デザインを「中国文化遺産」シンボルと選
びました。出所:「金沙」
黄金の虎形飾り(三星堆遺跡)
三星堆遺跡出土
金
縦6.7cm 横11.6cm
三星堆博物館
虎の形をした金箔の装飾品、元来は他の器物の上に取りつけられ
ていたもののようで、前足と後足に小さな円い孔が開いている。
出土時には、人頭像の中に子安貝などとともに入れられていた。
虎は頭部と尾が極度に大きく、口を大きく開けて、何ものかにほ
えかかっているような姿をしている。全身に斑文が打たれている。
この斑文と同じものが、1951年に広漠市で採集された西周期のも
のとされる青銅製の鉦に施された虎の図柄の胴部にも見える。
出所:『三星堆』
黄金の仮面(三星堆遺跡)
三星堆遺跡出土
金
縦11.3cm 横21.5cm 重49.0g
三星堆博物館
人頭像につけられていた黄金の仮面がはがれ落ちた
もの。純金をたたいて薄く伸ばしてシート状にして
いる。両目と両眉の部分が切りぬかれているのは、
二号坑出上の金面人頭像のものと同じである。出土
時には二つに断ち切れていたが、鼻のふくらみや耳
の雲気文はよく残っている。出所:『三星堆』
2. 三星堆
人頭像においては、口は左右に裂け、耳は尖り、目
は大きく見開かれて吊り上がっています。人頭像では、
漆を混ぜた粘着剤で金箔マスクが貼られたものもあり
ます。
http://homepage3.nifty.com/alacarte/nanchuka12-chugokukodaibunmei.htm
四川省の省都である成都市から北へ30kmの広漢市。
「三星堆」遺跡は広漢市の西側7km、馬牧川の南岸
にある。その辺りにはかつて長さ2300mぐらいの円丘
状の土の山が3つあったが、伝説によるとこれらは玉
皇大帝(道教の最高神)が天上から撒いた3握りの土
がここに落ち、まるで金色に輝く3つのの金星のよう
だったことから、「三星堆」と名づけられたという。
この遺跡は早ければ今から5000年ほど前のものであ
り、遅くとも 商朝(殷朝の1時期)の末期か周朝の初
期、つまりおよそ3000年前のものだという。
http://www.rmhb.com.cn/chpic/htdocs/rmhb/japan/j2001-5/sanxingdui.htm
三星堆の位置並びに時代概観について
1. 殷墟
河南省安陽市西北郊の殷墟(殷王朝は紀元前14~11世
紀)から金箔が発見されたことが報告されている。その
厚みは0.01+/-0.001mmであった。 (南京金陵金箔)
この記述から見るかぎり、この金箔は厚みが10ミクロ
ンもあり、現在金沢で金箔の出発原料として作られてい
る「澄み(ずみと読む)」の10倍の厚みがある。いわば金
の薄板と称されるべきものであろう。
現物は安陽市の殷墟博物館にあるのだろうか。一度訪
ねてみる必要がある。
黒住精二氏撮影
この記述の通り、この金箔の厚みは0.2mm、すなわ
ち200ミクロンであると推察される。金箔というより
も薄板である。現在の金箔の厚さは0.1ミクロンであ
るから、その2000倍の厚さがあることになる。
さらに
さらに
さらに、