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前田育徳会所有になる職人歌合(しょくにんうたあわ
せ)に彩色原画が存在する。

七十一番歌合絵巻三巻は、慶安元年(1648)三月、後水
尾上皇が前田利常に賜わったもの。

専門の画家ではなく、公家の筆かと言われる。書写の
年代はかならずしも古くはない、とされる。

写真版を作ってくださるよう前田育徳会にお願いした
い。

正倉院文書から読み取る有賀祥隆氏の見解

    金 薄 工 の 生 活 実 態

金薄工に関する有賀祥隆(よしたか)氏の見解を
              『日本の美術』6−截金と彩色 有賀祥隆 至文堂 1997
から引用しよう。


              東大寺戒壇堂四天王立像や
              正倉院宝物の金薄押新羅琴の
              精緻な截金文様が出現した背景
           

                             

              金箔を造り、それを截って置く優れた工人が
         国家の組織に組み込まれ、身分が保証され、
         生活の安定が得られるなど良い条件が揃った。


東大寺の時代に安定した金箔産業が東大寺のなかで成立していた、
というのである。

ではその生活実態はどうなっていたのか?

次に利用する資料は昭和の初め、東京帝国大学の先生たちが懸命に
解読された正倉院文書です。この翻訳は『大日本古文書』という名
前で文科大学史料編纂掛が1927年に出版したものです。