引用: 『大日本古文書』十六 天平宝字六年(762) P96
239人という数字ですが、現在の金沢市の箔打ち職人数は70人ですから、金沢
市の職人数の三倍もいたことになります。(後述するマンダレーのように、機
械化されていない時代の職人数だと考えてください。)東大寺講堂裏の僧房と
称されている区画にいたのだろうと思います。
また、賃金というのが日給なのか、月給なのか、年給なのか読み取れません
が、基準となる米の値段を調べることにしましょう。
同じく天平宝字六年(P96)の年末の値段なのですが、
肝心の箇所を拡大しましょう。
計算を再現して見ましょう。
米の種類 量(石) 単価(文) 金額
白米No.1 7.5 1,114 8,355
白米No.2 21.5 1,110
23,865
白米No.3 6.0 1,100 6,600
35石 合計金額 38,820文
東京文科大学の先生が指摘しておられるように、白米の購入総量が間違って
います。34石ではありません。正しくは35石でなければなりません。
いずれにしても、米の値段は一石あたり、1,108文程度であることがわかりま
した。
人間が一年間に消費する米の量は一石だといいますから、
金薄工の賃金40文というのは週給かもしれませんね。日給だとすれば多すぎ
るようだし、月給だとすれば、家族を養うことが出来ません。
現在の時価にひきなおしたら、どれだけになるでしょうか。皆さん、計算し
てみてください。
引用: 『大日本古文書』十六 天平宝字六年(762) P294
「金工」(こがねこう)の賃金と米の値段
次のように記載してあるのが読み取れます。
「金工」(こがねこう)
= 錬金を打ち延ばして金箔を作る工人
合計人数 239人
内訳は
「熨金工」(イキンこう、かねうちこう)
= 準備作業をする工人
24人
内 34文 x 9人 = 306文
33文 x 15人 = 495文
賃金合計 801文
「打金薄工」(ダキンパクこう、きんぱくうちこう)
= 本格的に金箔を作る工人
215人
各人
40文
賃金合計 8,600文
賃金総計
9,401文