「純粋経験」による
日本の価値観の破壊
西田幾多郎という男はいまから93年前に(1911年に)、日本の伝統的な文化を破壊して、とてもお粗末な西洋哲学まがいの哲学を創作した。それは、哲学というよりはむしろ、新興宗教の教祖が述べ立てる救世理論に近い心理誘導であった。この結果、日本国は日本国成立以来守ってきた「和」の精神を放棄することとなり、その結果は、34年間という短い時間のあいだに第二次大戦の勃発と日本国敗戦という大惨事に帰結した。すべては、粗雑で悪しき哲学がひきおこした事態だ、と筆者は考える。
まず、伝統的な日本の価値観とはなにか、という問題から始めよう。
この問題については、あなたがたの身の回りに題材が転がっているのだから、難しい言葉を使わずに話しをしてみよう。
「負けるが勝ち」という逆転発想の思想がある。
別の例をあげれば、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ人の世は」という発想がある。
また、「ならぬが堪忍、するが堪忍」という諺もある。
いずれの諺も自己に固執しないどころか、いや、どちらかというと、自己を捨ててかかっている。ここが西洋の発想とは異なる最大の眼目であるように思われる。西洋での例外はキリストだけなのだが、彼を除けば、西洋の哲学に「身を捨てる」発想は間違ってもでてこない。
ところがどっこい、日本人にとって、この三つの諺はとても理解しやすいのである。なぜだろうか。
「負けるが勝ち」という諺は、「負けよ」と命令するのではなく、「争そうな。争えば後々得にならない。今負けておけば、つまり今現在妥協しておけば、将来の道が自然に整ってくる」、と後で実現する(かもしれない)実利を主張しているのだと理解される。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ人の世は」はもっと厳しい内容だ。妥協という発想も出てこない。「今すぐ死ね」と命令しているのである。債務超過に陥った事業家が便便と破産前の会社にしがみつく有様を非難する。執着心をもてば、事態は悪化するばかりだ。執着心を捨てよ、とこの諺は命令する。それは生きるべき当事者にとって「死ね」という命令である。主体性の全面否定である。
そして、「ならぬが堪忍、するが堪忍」にいたっては、二律背反の同一化である。まったく論理的な整合性にかけている。
そしてこれらの諺が、西洋哲学の論理にはまったく違背しているにも拘らず、日本の伝統的考え方のなかでは、「正しい」と考えられてきたのだ。一昔まえ、お寺の本堂で説かれ続けた説法講釈の本質がこれらの諺に集約されている。
をしむとてをしまれぬべきこの世かは
身をすててこそ身をもたすけめ
は「をしむとてをしまれぬべき」と「身をすててこそ身をもたすけめ」の逆転思考二段重畳構造になっている。まことに入念なつくりが、日本人の喝采を浴びるところなのであろう。
ここには西田幾多郎の主張する、「絶対唯一の存在である純粋経験」という断定だとか、「純粋経験が精神上の唯一のよりどころであるから、これに固執せよ」という命令は出てこない。日本の伝統的哲学には絶対論はそもそも存在しなかったのだ。
これらの日本国の伝統的な哲学の源流については、さまざまな人たちがさまざまな理論を立てておられる。日本は仏教国だから、その大部分は仏教哲学に源を見出しているのだが、仏教の経典が多すぎて、論者の数も多すぎて、決定的な論文を見つけ出すことが難しい。
だから、現在アクセスのしやすい論文に的を絞り、簡潔に本質をつく文章を選び出し、できるだけ手短に日本の伝統的な哲学の成り立ちと内容を述べてみたい、と思う。
画像:
菩薩立像
銅造鍍金
全高29.6cm
奈良時代(8世紀)
奈良国立博物館
『名品図録』増補版 H5.8.31
北陸山岳仏教の中心霊場として、奈良時代初めに泰澄らによって開かれた加賀白山の山頂から出土したと伝えられる金銅仏。長く土中したためか銅の腐食が進んで表面の荒れが目立ち、両手先も欠失しているものの、小像ながら量感を備えた力強い造形や厚手の鍍金の輝きなどはなおよく保たれている。
写真:
白峰村より仰ぎ見る白山。
2003年11月撮影。
写真:左上
2003年11月撮影。
白峰村、林西寺の白山本地堂。
明治初年廃仏毀釈の際、同寺の
可性法師が白山頂上より運び下
された仏像が安置されている。
白山という山は泰澄大師が養老
元年(717)、36歳のとき登頂に成
功し、本地十一面観音を感得した
ことに始まる。
だから、冒頭の写真の菩薩立像は、
観音菩薩であり、泰澄大師ゆかり
の仏像であった可能性がある。