彼女は的確にその状態の特徴を描写し、それをその特徴からして、
神秘体験だと断言しながらも、この神秘体験Bがいったい何を意味し
ているのか、わからない。
そもそも神秘体験Aのあの明るい経験の後に、なにゆえにこのよう
な苦痛のかたまりがやって来て、彼女の魂の全体を鷲掴みにするのか
分からないということが第一点。さらにこの神秘体験Bが何を意味し
ているのか分からないということが疑問の第二点であり、彼女はこの
二つの疑問の渦中にあるといっても良いのではなかろうか。
ちょうど、一致の念祷や恍惚が繰り返し彼女に現われたのとまった
く同じく、神秘体験Bもまた、初回の到来以来、彼女を繰り返し訪れ
る。
それがくると予感されるとき、彼女は恐怖感に襲われる。彼女はま
だ死にたくないからだ。
つまり、それは「死」そのものなのだが、彼女はそれを認めようと
はしない。認めないで必死になって抵抗する。
抵抗するものだから、肉体的な後遺症が現われる。
もし、貴方が精神科の医者であるならば、この状態がある精神病者
の徴候ときわめて似ていることに気づかれるだろう。そう、それは、
統合失調症(スキゾフレニア)の特徴であると言い切ることができる。
統合失調症の患者は、世にもあらぬ天国の快楽と、世にもおぞましい
地獄の苦痛とを、交互に、しかも受身の立場で、味わい続ける症状を
見せる。
もし、テレサのそれと統合失調症患者のそれとの間にわずかの違い
があるとすれば、テレサはそれを、とても表現しにくいと言いながら
も、言葉を選んで表現する力、すなわち「理性」をかろうじて保持し
ているくらいなものである。
気狂いとは、絹糸のように細い理性の糸が、切れてしまった状態で
あるように見える。
人間内面の探求とは、「気狂いと紙一重の差」だと言い切ることが
できるかもしれない。
12 おおイエズス! だれか、神父様、あな
たにこれをおわからせすることのできる人はな
いものでしょうか! それがなんであるかを私
におっしゃってくださるためだけにでも。なぜ
なら、私の霊魂が現にいつもとどまっているの
は、こういう状態なのですから。通常私の霊魂
は、何かの用事にたずさわるのをやめるや否や、
ただちにこうした死ぬほどの苦悩のうちにはい
ります。そして、こういう苦悩が近づいてくる
のを感じるや否や、恐怖に捕われます。なぜな
ら、自分はまだ死ぬべきでないことがわかりま
すから。しかし、この苦しみのなかに沈むか沈
まぬうちに、自分の残りの生涯中、ずっとそこ
にとどまりたいと思います。とはいえ、苦悩は
あまりにもひどいので、天性はこれを忍びがた
く、脈はほとんどすっかりなくなってしまうこ
とがあります。こえは、そういう時に、いくた
びか、私に近づき、いまでは、この状態がもっ
とよくわかるようになった修道女がたが私に断
言したことです。腕は大きく拡げられ、手はひ
どく硬直して、時として私はそれを合わせるこ
とができません。それゆえ、翌日まで、手くび
や、またからだ全体に、たいへん激しい痛みが
残り、すっかり骨がはずれてしまったかのよう
に思われます。 (自20-12)
画題:R.Delaunay (1885-1941)
"La Tour
Eiffel"
1910-11
Kunstmuseum, Basel
カンヴァス世界の名画24
『モンドリアンと抽象絵画』
中央公論社 1975
エッフェル塔は、
1899年
パリ万国博の際にたてられた。
この絵は、
塔の下半分は
下から見上げた角度で描かれ、
上半分は、
上空より俯瞰されている。
つまり、
基準が二つ混在した
合成絵画である。
人間は
同一の枠内に二つの基準をつくるとき、
これを「不安」と見るのか、
あるいは、
「調和」だと考えるのか?
ドローネイは、
この「調和」は
科学の勝利を意味する、
と考えた。
神 秘 体 験 B の 特 徴