万人の眠りを覚ましたのが、1853年浦賀に来航した
黒船であったとすれば、それより二十年後、60歳台半
ばにして鴻山は日本人の極楽の夢をぶち壊したのだ、
と思います。彼が日本精神の解放をもたらしたのです。

 なるほど、鴻山に絵画の技法を教えたのは、晩年の
北斎でしょう。しかし、精神的な地位からすると、鴻
山は北斎の(技巧しか存在しない)世界をはるかに超
えていたように思うのです。

幕末の絵師といえば、先ごろ京都国立博物館
で展覧会があった河鍋暁斎でしょうが、彼と同
じ頃に活躍したのが、高井鴻山
(1806-1883)です。

  高井鴻山はノルウエーのムンクよりも約半世
紀前の人ですが、ムンクが
『叫び』を描く1893
年よりも二十年も前に、衝撃的な妖怪画を描き
ました。妖怪に示される人間精神が人間の真実
なのだ、と主張したのです。

高 井 鴻 山 (1)

画像:
「妖怪図」(118px40.5p) 絹本、
『高井鴻山妖怪画集』小布施町、1999

 日本ではこのような先端的な芸術家の
存在はまれです。鴻山しかいません。世
界にムンクがいるのは、ノルウエーのオ
スロだけ、という事態に酷似しています。
鴻山は、日本の大きな芸術資産なのです。

 ご理解いただけたでしょうか?

本稿については次の二冊に典拠している。

『高井鴻山伝』
高井鴻山伝編纂委員会
小布施町
昭和63(1988)

並びに

『高井鴻山漢詩選集』
高井鴻山伝編纂委員会
小布施町
1988

 画像:
『妖怪図』高井鴻山
(139.5px51p)絹本、部分、
『高井鴻山妖怪画集』小布施町、1999

画像:
「妖怪図」墨(136px66p) 紙本、
『高井鴻山妖怪画集』小布施町 1999

 それまでの日本人は、『浄土三部経』
による来迎図を見て、極楽の存在を
楽観
的に
想定し、夢のなかに溺れていたので
す。ところが彼はただひとり、敢然とし
て、「それは違う。正しくはこうだ」と
言って、『妖怪図』を描いた。

  我々が三途の川を渡るとき、迎えにく
るのは妖怪で、行先は地獄だ。そうに決
まっている、といって欲呆けした世間の
人たちに猛省を促したのです。

 記念館にある鴻山が描いた『妖怪図』を拝観することにしましょう。構図は『浄土三部経』による来迎図とそっくりですが、描かれているのは、妖怪たちです。阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩その他もろもろの菩薩たちではありません。迎えに来るのは妖怪たちなのです。