スンニ派とたえず対立しているシーア派の成り立ちを説明しておかなければならない。

まことに大ざっぱな話で恐縮なのだが、ムハンマドによる「恐るべき神」を唯一の存在であるとするスンニ派のイスラム教は、その後メソポタミアを経由して、ペルシャに入って行った。メソポタミアはアレキサンダー大王の時代から、ギリシャ哲学が人口に膾炙しており、プラトンの(A onlyの)明るい哲学に影響されて、宗教の中味がすりかわってしまった。生命感にあふれる「神」に換わってしまった。この変性イスラムをシーア派という。

当然のことながら、B onlyの精神状態を記録した『コーラン』を、A onlyの精神状態の人が読んで辻褄があう訳がない。したがって、シーア派の人たちは、『コーラン』を暗号書であると考え、その暗号を解釈できる人、「イマーム」を全面的に信頼し、その指示に従うことを鉄則としているのである。

また、これも当然のことながら、Bを絶対の真理と主張するスンニ派と、Aを絶対の真理とするシーア派は折り合いがつくはずがない。ちょうどカトリック(A)とプロテスタント(B)との間に宗教戦争が生じたように、スンニ派(B)とシーア派(A)は今でも骨肉の争いを繰り返している。ジョン・ロックのような仲介者が現れていないから、民主主義という妥協の論理学は成立していない。

 

 また、スーフィズムもA onlyである。

 シーア派とスーフィズムについては、機会があれば別稿を起こしたい。

画像:   豹形香炉、イラン、11世紀
      ピオトロフスキー、
      『エルミタージュ美術館』
    加藤九祚他訳、

       岩波書店 1985