「 黎 明 」
画題:
フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ
「魔女の集会」1821/23年ごろ
壁画よりキャンバスに移す。
140 X 438cm
『プラド美術館』
Scala Books
Scala Publications Ltd. 1988
P262
113 黎明 ――メッカ啓示、全五節――
慈悲ふかく慈愛あまねきアッラーの御名において……
1 言え、「お縋り申す、黎明の主(しゅ)に、
2 その創り給える悪(この世の悪もまた神の創造するところ)を逃れて、
3 深々と更(ふけ)わたる夜の闇の悪を逃れて。
(夜の闇には不気味な悪霊が彷徨している)
4 結び目に息(いき)吹きかける老婆ら(妖術使いの老婆たちは
紐に結ぶこぶをこしらえ、それにハッハッと息を吹きかけて誰かを呪い殺
そうとするのである)の悪を逃れて、
5 妬み男の妬み心(はげしい嫉妬は古代社会では恐ろしい呪いとなる)の
悪を逃れて。」
P271
古代のアラビアでは、サジュウという文体
は、不可視の世界にかかわるいっさいのこと
に関係のあるコトバなのでした。不可視の世
界、あるいは存在の不可視の次元、それをア
ラビア語ではガイブ(ghayb)といいます。
中国語でいうと、「玄」の世界。真っ暗で何
も見えない、神秘的なところ。この不可視界
に専門的あるいは職業的に関係している人間
のコトバは必ずサジュウの形をとる。ですか
ら、不可視界からの語りかけも、当然、サジ
ュウになります。神が人間に語りかける時に
は、神のコトバはサジュウの形をとらざるを
えない。人間世界でも、人を呪ったり人を祝
福したり、予言したり、占ったりするコトバ、
すべてサジュウです。
例にひくことが、ひょっとすると当ってはいないか
もしれないが、トルコ軍隊の行進曲がこのサジュウの
雰囲気を表現しているのではないか、と思う。トルコ
のイスタンブールはヒルトンホテルの隣の軍事博物館
で、毎日午後3時からオスマン・トルコの親衛隊(イ
エニチェリ)の軍楽隊(メフテル)によるトルコ行進
曲を聴くことができる。人によって感受性に違いはあ
ると思うけれども、私はこれを「死の行進曲」として
聴いている。「死」の足音が聞こえる、と私は思う。
基調はドンドンドンという大太鼓の重いリズムであ
る。ラーメン屋の吹くチャルメラのようなクラリネッ
トの音色がねっとりと絡み付いてくる。
http://www.jp-tr.com/icerik/music/mehter.html#
オスマントルコは、真正なスンニ派のイスラムなので、1453年5月29日イ
スタンブールの攻略の際も、1529年末ウィーンの包囲の際も、まず城壁の外
からこの「死の行進曲」を打ち鳴らした。
開城のさい、先をきって入場するのは、半月形の刀を携帯するイエニチェリ
で、彼らは女子供といえど相手かまわず殺しまくった。オスマントルコは戦
場(主としてバルカン諸国)でキリスト教徒の少年を誘拐し、教育し、殺人
集団(イエニチェリ)に仕立てた。
このように、真正イスラムのスンニ派は、自分のまわりを「死」で飾り立
てる。「死」は唯一の真実であり、喜びであり、名誉なのだ。
このようにムハンマドのB onlyの宗教体験は、現在もイスラム教のなかで
立派に引き継がれている。
漆黒の暗闇に投げ込まれた人間は、妖術使いの老婆からのろい
の言葉を吹きかけられる。逃げる場所がないのが、この場合、最
大の問題なのだ。しかも「コーラン」はサジュウというリズムが
あって、このリズムが聞く人間をこの深い闇のなかに連れて行っ
てくれる、と井筒俊彦は述べる。