画題:
   フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ

   「魔女の集会」1821/23年ごろ
   壁画よりキャンバスに移す。
     140 X 438cm
   『プラド美術館』
     Scala Books
     Scala Publications Ltd. 1988

P262
        113 黎明 ――メッカ啓示、全五節――
      慈悲ふかく慈愛あまねきアッラーの御名において……


      1 言え、「お縋り申す、黎明の主(しゅ)に、
            2 その創り給える悪(この世の悪もまた神の創造するところ)を逃れて、
            3 深々と更(ふけ)わたる夜の闇の悪を逃れて
       (
夜の闇には不気味な悪霊が彷徨している
      4 結び目に息(いき)吹きかける老婆ら(妖術使いの老婆たちは
          紐に結ぶこぶをこしらえ、それにハッハッと息を吹きかけて誰かを呪い殺
          そうとするのである
)の悪を逃れて、
        5 妬み男の妬み心(はげしい嫉妬は古代社会では恐ろしい呪いとなる)の
        悪を逃れて。」

P261
 Saj’ サジュウ
 長短さまざまの文あるいは句を脚韻の繰り
返しでリズミカルに区切っていく形式。

 ちょうど太鼓の拍子、ドンドン打っていく
その打ち方のように、リズミカルにコト
バを
区切っていく。駱駝の足どりに由来するとい
う説がある。

  くっきりしたリズムをもった一種の散文形
式。速くなったり緩くなったりするリズ
ムが
流れ、それが脚韻でもって決まってくる。だ
が、純粋な詩とも違う。そういう
文体。

P271
 古代のアラビアでは、サジュウという文体
は、不可視の世界にかかわるいっさいのこと
に関係のあるコトバなのでした。不可視の世
界、あるいは存在の不可視の次元、それをア
ラビア語ではガイブ(ghayb)といいます。
中国語でいうと、「玄」の世界。真っ暗で何
も見えない、神秘的なところ。この不可視界
に専門的あるいは職業的に関係している人間
のコトバは必ずサジュウの形をとる。ですか
ら、不可視界からの語りかけも、当然、サジ
ュウになります。神が人間に語りかける時に
は、
神のコトバはサジュウの形をとらざるを
えない。人間世界でも、人を呪ったり人を祝
福したり、予言したり、占ったりするコトバ、
すべてサジュウです。

(引用は、
   井筒俊彦『コーランを読む』
   岩波セミナーブックス
1 岩波書店1983

 例にひくことが、ひょっとすると当ってはいないか
もしれないが、トルコ軍隊の行進曲がこのサジュウの
雰囲気を表現しているのではないか、と思う。トルコ
のイスタンブールはヒルトンホテルの隣の軍事博物館
で、毎日午後
3時からオスマン・トルコの親衛隊(イ
エニチェリ)の軍楽隊(メフテル)によるトルコ行進
曲を聴くことができる。人によって感受性に違いはあ
ると思うけれども、私はこれを「死の行進曲」として
聴いている。「死」の足音が聞こえる、と私は思う。
 基調はドンドンドンという大太鼓の重いリズムであ
る。ラーメン屋の吹くチャルメラのようなクラリネッ
トの音色がねっとりと絡み付いてくる。


http://www.jp-tr.com/icerik/music/mehter.html#

http://www.kjps.net/user/topkapi
/turkey/isb-mehter.htm

 オスマントルコは、真正なスンニ派のイスラムなので、1453529日イ
スタンブールの攻略の際も、
1529年末ウィーンの包囲の際も、まず城壁の外
からこの「死の行進曲」を打ち鳴らした。


開城のさい、先をきって入場するのは、半月形の刀を携帯するイエニチェリ
で、彼らは女子供といえど相手かまわず殺しまくった。オスマントルコは戦
場(主としてバルカン諸国)でキリスト教徒の少年を誘拐し、教育し、殺人
集団(イエニチェリ)に仕立てた。

 このように、真正イスラムのスンニ派は、自分のまわりを「死」で飾り立
てる。「死」は唯一の真実であり、喜びであり、名誉なのだ。

 

このようにムハンマドのB onlyの宗教体験は、現在もイスラム教のなかで
立派に引き継がれている。

 漆黒の暗闇に投げ込まれた人間は、妖術使いの老婆からのろい
の言葉を吹きかけられる。逃げる場所がないのが、この場合、最
大の問題なのだ。しかも「コーラン」はサジュウというリズムが
あって、このリズムが聞く人間をこの深い闇のなかに連れて行っ
てくれる、と井筒俊彦は述べる。