風 に 吹 か れ て ゐ る 葦
このような心理状況の下に龍之介は昭和2年7月24日未明田端の自宅におい
て、ヴェロナアルおよびジャール(いずれも睡眠薬)の致死量を仰いで自殺
した。
結論は龍之介の場合も出なかった、としか考えられない。
龍之介の『或阿呆の一生』に関する筆者の抜書きとその解説をここに取り
まとめておこう。
彼の存在していた世界は、次のような特徴を備えていた。
− 現実からの乖離感。
− 実在感は消失する。
− 楽しみがない灰色の世界。
− 真理は求めて得られず、自分は没落する。
− 甚だしい閉塞感。
− 未来は暗く、世界は苦痛に満ちている。
− 死にたい。
− 狂気の一歩手前。だが、狂気は自ら選択できない。
− 神への信仰には頼らない。自分の理性に頼る。
さきに筆者はウェルテルの自殺前の心象風景を取りまとめたが、龍之介の
心象風景とぴったり符合することに注目しよう。
龍之介はこのような苦しみの世界に二年間も浸りきりとなり、だからこの
世界に満足していたのかと言えば、それは嘘になる。
彼の遺稿である『闇中問答』のなかで「僕」は述べる。
僕(一人になる。)芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)!
芥川龍之介、お前の根をしっかりとおろせ。お前は風に吹かれて
ゐる葦(あし)だ。空模様はいつ何時(なんどき)変るかも知れ
ない。唯しっかり踏んばってゐろ。それはお前自身の為だ。同時
に又お前の子供たちの為だ。うぬ惚(ぼ)れるな。同時に卑屈為
にもなるな。これからお前はやり直すのだ。
しかし、この言葉も風のように消えた。
画像:
カレル・マセク
預言者リビュース
1893年頃
油彩 カンバス 193 x 193 cm
パリ、オルセー美術館
『アール・ヌーヴォーとアール・デコ』
甦る黄金時代
千足伸行監修
小学館 2001