純 粋 経 験 B

写真:
乳釘文爵 
夏代(紀元前
2070年−紀元前1600年)
1974年 偃師二里頭遺跡から出土
『洛陽文物精粋』王綉等編 
鄭州 河南美術出版社 
2001.4

 反抗的哲学者三名の精査は、これで終了した。


 精査したかぎりでは、三名とも謎は解きえなかった。


 ゲーテは、結論の出ぬままウェルテルをして身代わり自殺させた。

 平塚らいてうは、社会的ダメージを受けたが、その代償として身軽になっ
た。


 龍之介は、わけのわからぬまま、肉体の衰弱もあって自殺した。
 それぞれに、答えを出していない。


 しかし、それでも答えはあると筆者は考える。答えを簡単に書いておこう。



 松篁が経験した、そして幾多郎が論述した純粋経験は、実は純粋経験A
のである。



 純粋経験
Aにたいして、これと相反する純粋経験Bが存在する。
 純粋経験Bは、ゲーテも、平塚らいてうも、龍之介も、等しく到達し経験
していたが、それに気がつかなかっただけである。



 このような無自覚型の到達者は、あたかも地図がなかったばかりに、ある
いは六分儀がなかったばかりに、自らが南極点に到達していたことを永遠に
実感できていない探検家に似ている。

 ゲーテはウェルテルを凍死させてしまったし、らいてうは「あれは痴れ者
よ」との汚名を着てすごすご引き返さざるをえなかった。龍之介は南極点で
自ら凍死したのである。



 では純粋経験
Bとはなにか。それをこれから解明しよう。これからは、日
本の心理学、哲学の常識に相反する領域であり、読者は少なからずどぎまぎ
されるかも知れない。だから、読むにあたっては、充分なる理性を働かせつ
つ読んでほしい。それから、哲学を理想実現のための梃子と考える考え方は
一旦捨てて、その哲学が現実と一致しているかどうかの観点から、自分の心
と世界の現実とに一致しているかどうか、どうかあなた自身検証しながら、
読んでほしい。