ギボンという人はきわめて慎重なタイプ
のようで、筆者が同書から拾い上げた引用
文だけではとてもギボンの真意は浮かび上
がってこない。そこで多少の瑕瑾は承知の
うえで意訳をしてみよう。

 ギボンは本書のなかで、次のように見解
を披露しているのである。

カトリックはロンドンの赤バスか?

− カトリックは、ロンドンの二階建ての赤バスにとてもよく似てい
   る。

− バスの一階にはたしかにイエス・キリストが乗っている。彼は母
   親のマリアとマグダラのマリアに伴われていて、沿道の人たちに
   にこやかに祝福を送っている。

− だから民衆はバスに乗りたがるのだが、後部のステップには車掌
   が待ち構えていて、乗り込む人たちを二階席へと案内してしまう。
   一階席には決して入らせてくれない。車掌の名前はヨハネ。

− 二階席へ登ると、そこはプラトン主義者、高踏派、タカ派、絶対
   主義を主張・信奉する人、自分が真理であると称して民衆を見下
   す人間、で満ち溢れている。

− キリストの精神が、いつどのようにしてプラトン主義にすり替え
   られたかという経緯については、すでに述べた。

− キリスト教(カトリック)がプラトン主義に冒されて以来という
   もの、キリスト教は宗教裁判と異端審問に代表されるあらゆる種
   類の暴虐と暴言に乗っ取られてしまった。キリストはテロリスト
   の人質になったのだ。

− この潮流は4世紀から5世紀にかけて、つまりキリスト教がロー
   マ帝国の国教となっていく過程で作り上げられた。

− イエス・キリストの本質は、プラトンでもなく、三位一体論の主
   張する「霊」でもない。

− だが、西洋人の心の拠り所となっているイエス・キリストの教え
   を辿るすべは新約聖書のただ一冊に限定されている。そして新約
   聖書にはプラトン亜流のヨハネ福音書が含まれている。聖書を絶
   対と信じる西洋人の心性からすれば、だから逃げ道がない。

− この事実こそ西洋文明が、以来現在にいたるまでディレンマに陥
   っている原因である。つまり、「(プラトン亜流の)ロゴスは、
   キリストの精神ではない」と主張したくても、それができないディ
   レンマに陥っているのである。

− そうなると、その当時ヨハネ福音書を新約聖書に取り込んだヒエ
   ロニムスがそもそもの元凶といえるのかもしれないが、その当時
   の三位一体論を巡る白熱した論争を詳細にトレースしてみればご
   理解いただけると思うも、ヒエロニムスといえど他の選択は許さ
   れなかったといえるであろう。

 キリストが生まれて以来の歴史的事実を綿密に調べ上げ、思想の変
遷をたどることによって構成された、まことにもっともで理路整然と
した意見であり、ギボンの炯眼には現代の私たちからみても敬服せざ
るをえない。


画題:ロンドンの赤バス

    http://www.mars.dti.ne.jp/~sauth/euro2001/ehagaki/london/bus.html