さて、われわれはアウグスティヌスにもどろう。

 アウグスティヌスが33歳にしてアンブロシウスにより洗礼を受けた西暦387年には、この三位一体論争は決着がついていた。上述のようにキリスト者がキリスト者を裁く異端審問制度もできあがっていたにちがいない。

 彼は、このような事態を引き起こした三位一体論の理論の欠陥を見出すのではなく、ひたすらに異端信者の摘発に乗り出した。ギボンの語るごとく、「善はすべて自派にあり、逆に罪はすべて敵教派の責任に帰し、いわば天使と悪魔との戦いのごとく描いて見せているにすぎぬ」非寛容精神でドナトゥス派の弾圧に乗り出す。行き場を失ったドナトゥス派は、


 みずからすすんで自決の日を予告する。そして予告通りの当日、彼等は教友同士たちの見まもる中で、見事断崖から真逆様に飛び下りるのだ。しかも、こうした数多くの殉教自殺者を出したことで有名になった断崖が、至るところで名所になっていた。
                                             (同上、第21)

アウグスティヌスの影響の結果

 まことに皮肉なことに、彼が弾圧したドナトゥス派に支持されたヴァンダル族の王ガイセリックは、アウグスティヌスが西暦4308月、76歳にして亡くなる3ヶ月前から、彼が司教をつとめていたヒッポ・レギウス(現在はアルジェリアのボーヌ)の街を包囲しており、この街が陥落したのは彼が亡くなってから数ヶ月のことであった。神によって祝福されるべきヒッポの街は焼き尽され、計り知れない略奪と凌辱を受け、住民は奴隷化させられた。

 もちろん彼の求めたものは現世ではなく「神の国」だったのだから、彼はきっと今も「神の国」にいて満足しているのだろう。だが、彼の指導下にいたヒッポの住民たちは、生きながらにして地獄に堕されてしまった。

 こうしてほどなくローマ帝国は壊滅するのである。

画題:Benozzo Gozzoli
          "Augustine and a boy on the seashore at Hippo"
         1465,

         The Church of Saint Augustine, San Gimignano
     
http://ccat.sas.upenn.edu/jod/augustine.html

   ゴッツォーリが15世紀半ばに描いた
          Hippoの街。

 とはいえ、アウグスティヌスの美点がひとつだけある。それは、彼が『告白』のなかで、みずからの汚点をすべて告白する勇気をもっていたことだ。人間の歴史上初めて「魂の完全な告白」をおこなったことは、その後のキリスト教信者に対し、常に自らの魂に対して誠実に、かつ正直に、向き合うべきことの規範を示した、と言えるのではなかろうか。


 これで神秘体験
Aについての記述は完了した。


 問題が一つ残された。では、三位一体論の何処がおかしいのか、という点である。言い換えると、人間の精神には他にどのような領域があるのか、という問題である。これを次の「神秘体験
B」の部で述べることとしよう。