ロックは、第一巻で、生得思念とか生得観念とか称する、本原的刻印の存在を否定した。人間が生まれたときから心に「善」の観念だとか、「神」の観念だとか、が植え付けられていて、後年、内面を追求することにより、神秘体験Aに到達できるのは、この刻印があるからでこそなのだ、という説を全面的に否定する。その理由は後で述べることにしよう。


      そこで、心は、言ってみれば文字をまったく欠いた白紙で、観念
     はすこしもないと想定しよう。どのようにして心は観念を備えるよ
     うになるか。人間の忙しく果てしない心想
(ファンシイ)が心にほと
     んど限りなく多種多様に描いてきた、あの厖大な貯えを心はどこか
     ら得るか。どこから心は理知的推理と知識のすべての材料をわがも
     のにするか。これに対して、私は一語で経験からと答える。この経
     験に私たちのいっさいの知識は根底を持ち、この経験からいっさい
     の知識は究極的に由来する。                       
(2-1-2)


 生まれたとき以来、心に蓄積した疑いようのない経験と、経験から理知的に推理した充分信頼するに足る知識が基礎となって、われわれの心に生じるファンシーが生まれでてくるのだ。つまり、すべての根源は「経験」である、とロックは述べる。


 プラトン以来、人間が価値の基準としてきた根底である「イデア」とか、「聖霊」とか、「一致の念祷」とか、「神」とか、は一切認めない。それがよいことか悪いことかは知らないが、確実に正しいと認識できるのは、それらではなく、「経験」である。すなわち本原的には諸感官から入手した「感覚」と「内省」である、と彼は主張する。


 この最終的な結論に到達するための論理を、全四巻のいたるところで展開しているのだが、なにしろ
17年間も考えては筆を止め、考えては筆を止めた論文だから、論理があちこちに分散配置されていて、とても読みづらい。そこで、本書でこれまで述べてきた諸点を頭の中にいれていただいて、本文の配置順序にこだわることなく、筆者のピックアップする論理を、筆者の順序で読んでいただきたい。

白 紙 か ら の ス タ ー ト

 では分析にとりかかることにしよう。

 人間知性論は、第一巻より第四巻までに分かれているが、ロックは彼の結論を第二巻の冒頭に述べた。


 およそ人間はすべて思考するとみずから意識する。そして、思考する間に心が向けられるのは心にある観念であるから、疑いもなく人々は、白さ堅さ甘さ思考運動人間集団酩酊(めいてい)その他の言葉で表現されるような、いくつかの観念を心に持っている。そこで、まず研究すべきことは、どのようにしてそれらの観念を得るかである。私は知っているが、人々は生まれつきの観念を持ち、そもそも生まれる初めに心へ捺印された本原的刻印を持つというのが、広く認められた理説である。この説を私はすでに(第一巻で)くわしく検討した。                    (2-1-1)

画題:カスパー・ダヴィット・フリードリヒ
     「リューゲン島の白亜の断崖」
      1825-1826
     ライプツィヒ美術館
          ジョゼ・デ・ロス・リャノス
          高橋幸次訳
          『ヨーロッパの水彩画』
          岩波書店
           1998