なにがこの本をこんなに難しくしてしまっているのか、と考えると、理由は次の2点であろうと思われる。
1. デカルトの影響がきわめて強く現れており、数学的な明証性を重ん
じた。人間の思考は足し算で構成できる、と1671年当時、彼がこの
本を書き始めた時点で、考えていた節がある。だが、この試みはあ
きらかに失敗した。ところが、特にこの本の前半では、この直線的
な論理性が残存している。だから、明晰な論理だと彼は気張ってい
るのだが、首尾一貫していない。われわれ現代人は、論理の一貫性
に慣れているものだから、本の途中で趣旨の変更がある場合には、
これについていけない。
2. ロックという人が生来とても正直な人で、分らないことは分らない
と、はっきり述べてしまうタイプのようだ。哲学者とわれわれが呼
んでいる人種はそれにひきかえ、往々にして分らないことを直(ひ
た)隠しにして、分かることだけを根拠として理論を作り上げてしま
う癖がある。このような一般的な哲学者とは肌合いが異なっている
のが理由なのだろうと思うが、たとえば、『人間知性論』2-21-41
(幸福と善悪)で次のように述べる。
欲望を動かすものは、幸福であり、幸福だけである。幸福と不
幸とは両極端の名まえであり、その窮まるところはわからない。
目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮かびもしなかっ
たこと(「コリント人への第一の手紙」第二章第九節)である。
(以下引用文は『ロック』大槻春彦、
中央公論社による。)
(原文では下線部分は強調ルビとなっている。)
そもそも「分からない」ことを根拠に理論が組み立てられるものか、と現代のわれわれは直観的に「おかしい」と考える。だが、ロックは「分からない」ことを根拠として立派に理論を組み上げてしまったのだ。この点がとてもユニークで、デカルトやカントやヘーゲルのような直線思考のタイプの人間には、理解が不可能になってしまう。
以上のような難点はあるものの、彼以降は、彼が作り出した非直線型思考が現代を動かす原動力となっているのだから、彼の考え方を注意深く調べてみることには大きな意義がある。
この本をすでにお読みいただいた方にはご理解いただけると思うのだが、とても難しい。難しいというよりも、彼が何をどのような論理で主張しているのか、把握するのが難しい。この本は三回読んでも、それでも著者の論理を繋ぎ合わせることが難しいから、時間をかけて、三ヶ月ほどかけて、斜めに読んだり、後ろのほうから逆さ読みしたり、裏から読んだり、いろいろやってみると初めて著者の真意が浮き出てくる。その当時の人たちはよほど頭の良い人ばかり揃っていたのではないか、と考えざるをえないほどである。
画題:Ernst Ludwig Kirchner
(1880-1938)
Bern mit Zeitglockenturm/
時計塔のあるベルンの町
1935
The Minneapolis Institute of Arts, Minneapolis
井上靖/高階秀爾、
カンヴァス世界の名画14
『カンディンスキーと表現主義』
中央公論社、1975