理知の判断を伴わない盲目的軽信は、盲目的軽信が過去にひきおこした史上最大の大惨事に鑑み、ここらでやめにしようではないか。これ以上、イデアだとか、神だとか、啓示だとか、いわゆる神秘体験Aなる「絶対なるもの」を未経験者に押し付けることは自粛しよう。
私は神の啓示を受けた経験があるから知っているし、また、このことにつき発言権をもっていると思うのだが、もし究極の目標を幸福におくのならば、唯心論は根拠とするに足りない。理由をもう一度述べよう。
1. それはきわめてわずかの人しか経験できないからだ。
2. それを経験した人は直ちに「絶対」という言葉を持ち
出す。絶対という信念は他の絶対を許さぬから戦争に
なる。
3. 絶対というものがあると主張すると、体験のない人が
付和雷同して、追従者になる人が続出する。
4. そのうえ、その啓示内容と合致しない暗い闇が私の心
の中にまだ在って、啓示内容はそれを説明してくれな
いからだ。
細かい点を除くと、これがロックの『人間知性論』のすべ
てであると言える。
このようなジョン・ロックの考え方が民主主義の基本理念となったのであるから、われわれが現在その下で暮らしている民主主義とは、
A.人間の心に生じる神秘体験Aを、仮にその認識に到
達したとしても、絶対唯一のものであるとは認めな
い。 (絶対性の否定)
B.人間の心に生じる神秘体験Bについては、よしんば
その本質を見極めることができない場合も、その存
在を否定しない。 (保守主義の原則)
とする判断によって統制されていることになる。つまり、民主主義は、人間の心に生じる超常現象を価値の基準とすることを放棄しているのである。
この原則に立った上で、なおしかも、神秘体験A及びBをともに(両方とも)人間性の根幹と認め、その上に相対的価値観を樹ち立てたキリストと釈迦を個別に信じることの自由(信教の自由)を保証しているのである。
画題:エドワード・バーン=ジョーンズ
「天地創造の第6日目」
(アダムとイブの創造)
1872-1876年
ケンブリッジ(マサチューセッツ州)
フォッグ美術館
ジョゼ・デ・ロス・リャノス
高橋幸次訳
『ヨーロッパの水彩画』
岩波書店 1998
ロックのこの評価方法により
人間は新たに作り直された。
すなわち、
アダムとイブの新たな誕生である。