ジーキル博士とハイド氏

 ロバート・ルイス・スティーブンスンという人は、18501113日にエディンバラで生まれた。お父さんは灯台のための機械技師であり、お母さんは政治家の娘であった。17歳のとき、エディンバラ大学の科学者コースに入学したのだが、途中で法科に転向して弁護士となった。

 生まれたときは健康体であったのだが、まもなく慢性的な呼吸器疾患にかかり、23歳の頃は神経衰弱に加えて肺結核となり、危篤の状態が続いた。要するに少年・青年期を病弱で過ごしたのである。

写真:http://www.nls.uk/rlstevenson/

 写真で見るスティーブンスンはガリガリに痩せている。彼は終生太ることがなく、31歳で『宝島』を書き、36歳で『ジーキル博士とハイド氏』を書き、189444歳で亡くなった。

 著者の息子に、「スティーブンスンという人を知っているかい」と尋ねると、「ああ、確か宝島の作者だったね」と返答する。冒険小説『宝島』はいまでも、少年の間で魅きつけられる何かを持っていて、少年雑誌ではこれが再編集されたり、抄訳されたりして今だに人気があるのだが、『ジーキル博士とハイド氏』についてはすっかり忘れ去られてしまったようだ。

 ジーキル博士とは、もちろん実在の人物ではなく、スティーブンスンによって作り上げられたフィクションの世界の人物である。十九世紀後半に莫大な資産の相続人としてロンドンに生まれ、才能あふれる勤勉な紳士として、世間の名誉を担い尊敬を集めていた。が、謹厳実直なジーキル博士の精神の裏側には欠点が隠されていた。熾烈なる享楽性であって、これがジーキル博士の表側の人格とはとても相容れなかったのである。

 昼間のジーキル博士は尊敬せらるべき高名な医者として振舞い、夜はソーホー街を自分の身分と地位を隠してうろつきたいと願うジーキル博士は、自分の科学者としての立場を利用して、特殊な薬品を調合することに成功する。

 夜になるとジーキル博士は自宅の裏側、裏通りに接する実験室でその薬品を調合する。

 メートルグラスも中で、それは泡立ち、煙を上げ、沸騰する。沸騰が止んだとき、これを飲み干すのである。直ちに激痛と嘔吐感に見舞われ、同時に生まれ出づるときの恐怖、死するときの恐怖を超える精神的恐怖を経験するが、その後、直ちに快美感を味わう。

 肉体的には、今までより若く、身軽く、愉快で、内的には、精神的な開放感があった。ただそのときに、肉体そのものは、背の低い猿のごときハイド氏に変身してしまうのである。

写真:
http://harvester.uw.hu/101/dr_jekyll_and_mr_hyde.jpg

Rouben Mamoulian監督による
映画『ジキル博士とハイド氏』(1932)
のポスター。

Ref. http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=9647

 凶暴なハイド氏は、裏通りより抜け出して、ロンドンの深夜をごきぶりのように動きまわり、次々と事件を起こしてゆく。

 物語は、ハイド氏の凶暴性が日々に激しさを増していき、殺人事件を起こし、果ては薬品を飲まないでも突然ハイド氏に変身してしまう傾向を自覚して、絶望したジーキル博士が遺書をのこして自殺することで幕を閉じる。

 典型的な怪奇小説であるし、人間の生理学、化学の技術の進歩した今では、かような化学薬品、つまり肉体的・精神的両面からの変身を可能にする薬品、などは荒唐無稽であるから、いかに小説であろうとも、この筋立ては「信ずるに値しない」のが、この小説に対する現代の評価ということになろう。

 だが、はたして本当に信ずるに値しないのであろうか。

 スティーブンスンの主張は、最終章「ヘンリー・ジーキルによる事件の詳述」に取り纏められている。

 要領よく取り纏められている記述であるから、読者にはまことに申し訳ないが各自図書館に行くなり、本屋に行くなりして、自分でこの部分を読んでいただきたい。

参考:
青空文庫

かとうけいてぃ氏の翻訳http://hw001.gate01.com/katokt/Hyde.htm