上村松篁「私の履歴書」

 しかし、母が日常の生活で無言のうちに身をもって教え
てくれたのは、明けても暮れてもひたすら絵に打ち込み、
黙って精進を続けるという勤勉努力の大切さである。


 私自身、「コツコツと写生を繰り返し、地道に絵の勉強
をしてきたのは、この境地に達するためだったのか」と思
えるような体験をすることができたのは、五十歳を過ぎて
からである。自然の中に没入するような体験である。八十
歳になって、自分の歩んできた道は間違ってはいなかった
のだ、という多少の自身が持てたような気がする。

 体験に至った基本的な姿勢として思い当たるのは、上記のような
母の無言の教えもあったが、18歳美工本科4年の頃お聞きした京大
の植田寿蔵先生の影響も大きかったと松篁は述べる。

 植田先生はまた別の夜、法隆寺の玉虫厨子の密陀絵にあ
る釈迦本生譚(しゃかほんしょうたん)の捨身聞偈(しゃ
しんもんげ)の話をされた。若い僧が座禅修行中、老人が
現われ「諸行無常是生滅法」と偈の前半を教えた。老人は
後半の句を聞くと生命がなくなるが、それでも聞きたいか
と問う。僧は生命を捨ててもいいからと約束して頼み、老
人から「生滅滅已寂滅為楽」と偈の後半を教えてもらう。
そして、のちの衆生のためにと偈の全句を岩に刻み、崖下
に身を投げる。「道は生命より尊い」という教えである。
上田先生の話を聞いて、私は「生命を捨てても進むべき自
分の道は、絵の道だ」と感じた。画家としてはっきりと自
覚して志を立てたと言えるのは、この時だった。

 この道のためなら生命を捨ててもよい、と絵に打ち込む姿勢があ
って、その結果生じてきた体験はどうであったか、ちょっと長くな
るが、大切なポイントであるからそのままここに写しとる。

  昭和二十八年の夏、私は不思議な体験をした。満五十一
歳を目前にして、初めて「自然の本体」に触れ、「自然の
声」を聞くことができたのである。

  奈良・平城の画室から四,五百メートル下におりた村道
のわきに里芋の畑があった。私は一ヶ月ほど前から毎日、
その畑へ通って朝から晩まで大きな芋の葉を写生していた。

  里芋の葉は形が単純なのに描くのは意外に難しいが、同
じ所で一ヶ月も写生し続けていると目が洗練されてくる。
夾雑物が取り払われて、エキスだけが見えてくるようにな
る。

   邪魔なものは何も見えず、芋の葉の「美の構成」だけが
ピチッと見え始めた七月のある日のことだ。カンカン照り
だったその日も朝から芋畑の中に三脚をすえ、腰かけなが
ら芋の葉をあかず写生した。「もうこれで十分写生できた
なあ」と思って腕時計を見ると午後四時である。日没まで
にはたっぷり時間もあるし、まだ帰るには早すぎる。芋の
葉のどこを見ても美しく感じられ、楽しいものだから再び
写生を続けた。

   そうしているうちに、かなり離れた所からサラサラ流れ
る水の音が聞こえてきた。日照り続きだったので農家の人
が水路の堰から畑に水を入れているのかと思った。ところ
が、その水音はだんだん大きくなり、こちらに近づいてく
るように聞こえるのに、実際に里芋の畑にまで水が流れて
くる様子は全く見えない。

   やがて、海の風のように量感のある風が吹いてきた。分
厚い感じの風でる。汗のにじんだシャツのボタンをはずし、
その風を胸に受けながら写生しているうちに、気が遠くな
っていった。その時、夢うつつのうちに聞こえてきた水の
音は、ザーッという風と波の音がまじったような大きな音
になり、私の体を包み込んだ。

  その忘我の状態が二十分ぐらい続いていただろうか。ふ
と気がつくと私は芋の葉に向かって腰かけたまま合掌して
いた。心から「ありがたいなあ」という気持ちが湧いてき
て、涙が流れた。今の今まで四十年近く絵の勉強にはげみ
続けてきたのは、この境地にめぐりあうためだったのか―
―そんな満足感もあった。

   ありがたくて、うれしくて、わくわくしながら私は三脚
をたたんで脇にはさみ、村道を上がって家に帰った。まる
で恋人に出会ったような喜びに心を躍らせて、その道を歩
いたのだ。

   なぜ、あんなにうれしかったのだろう、と考えてみた。
自然の生命がわかった喜び、自然の本体に触れた感動では
ないかと思った。「実在を知った喜び」とも「霊気に触れ
た感動」とも言えるだろう。体を包み込んだあの海鳴りの
ような音は、私を忘我の恍惚境に導く「自然の声」だった
のに違いない、と自分では考えている。

   奈良の丘陵のふもとにある芋畑での体験である。本当の
海鳴りが聞こえたり、海の風が届いたりするわけがない。
とにかく不思議な現象で、言葉ではうまく表現できないが、
私はあの時、確かに自然の本体、実在に触れたのだ。

画題: 「施身聞偈図」(玉虫厨子)7世紀
          
 法隆寺大宝蔵殿
             
『名宝日本の美術 第二巻 法隆寺』
             
小学館 昭和57   

             
雪山童子と帝釈天との対話。
             
受け止めるから大丈夫だと、
             
帝釈天は保証するのだが。

             
松篁は帝釈天の保証を信じたのか?

著作権の関係で
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「白孔雀」1973
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