これから、「神秘体験」という現象について話
をするのですが、そもそも「神秘体験」とはなに
を意味するのだろうか。
この言葉を二つに分解すると、「神秘」と「体験」に分解できる
から、いわゆる「神秘的な体験」と考えて、広辞苑の言葉を借りる
と、「普通の理論・認識の外に超越した、自分の身をもって経験し
たこと」という定義になるのかもしれない。
このような定義をひねくりまわしても、言葉で中味を伝えること
には限界があるので、実例を鑑賞していただくほうがてっとりばや
い。
そこでまず、日本人のなかで、もっとも正確、かつ秀麗に表現した
人の代表として、日本画家の上村松篁氏を紹介したい。
この方は、美人画で人間国宝になられた上村松園氏のご子息であ
り、昭和43年に京都市立美術大学の教授を66歳で退官され、昭和
60年9月、83歳のときに、日本経済新聞「私の履歴書」に次の文章を
発表された。
(⇒ 上村松篁「私の履歴書」、をお読みください)
上村松篁氏は、更に続けて、神秘体験の生じる条件についての考
察をされている。
(⇒ 上村松篁「私の履歴書」(続)、をお読みください)
上村松篁氏の説明される神秘体験の例で、神秘体験というものが
概してどのようなものであるか、そのイメージを入手された、と思
いますがいかがでしょうか。さらに詳しい説明は、後述の「神秘体
験A]の項でおこないます。
さて、ここまでの説明は、いわば「通常の」、「ありきたりの」
説明ですが、筆者の「神秘体験」の定義は、従来の(日本人による)
定義を一歩こえるものなので、次にざっと別の種類の神秘体験、
「神秘体験B」について述べることとしましょう。詳しくは後に神秘
体験Bの項でお話することとします。
画題:西山芳園 「鳥類図巻」
江戸時代末期(19世紀中頃)
絹本著色 巻物
大英博物館蔵
『秘蔵日本美術大観2大英博物館U』
平山郁夫、講談社、1992
下弦の月を背景に舞い降りる鴨。
鴨の舞い降りる姿勢が
連続写真のように
描き出されている。
生命の神秘が
目に見えるよう。
原書で鑑賞したほうが良いかもしれない。