このように世俗的な意味で超エリートの道を歩んだテ
レサではあるが、実態は父親と世間に「捨てられた」こ
とに変わりはない。

 ご託身修道院というのは現在も当時のまま残されているから、興味と
関心のある方は一度訪ねてみられるとよい。居室の内部はまるで馬小
屋のようであるし、外部との接触場所は、二重の鉄柵が埋め込まれた面
会所の窓、ならびに回転扉のついた物品の差し入れ口だけのようだ。そ
して、入院して生活を始めるやいなや、贅沢に慣れたテレサの華奢な身
体は激しい拒否反応を示し、1537年、22歳のとき、重態に陥る。

          失神が数多くなりはじめ、一度など私を見る人を恐れされるほ
        ど非常に激しい心臓の発作が起こりました。       (自4-5)

         病気はあまりに激しく、いつも、私はほとんど感覚を失い、時と
        してはまったく無感覚になってしまいました。       (自4-5)

         私が治療してもらいに行った心臓の激しい苦しみは、もっとずっ
        と恐ろしいものになり、時には、鋭い歯で心臓が破られるような
        気がし、人々は恐水病ではないかとさえ心配しました。流動物の
        ほかは何も食物をとりませんでしたので、ひどく力がぬけてしま
        い、なんでもまずく、絶え間ない熱におかされ、一ヶ月近くも毎日
        飲まされた薬のために疲れ果て、その上に、ひどい高熱のため
        神経は堪えがたい苦痛を引き起こしつつ収縮しはじめ、私は昼も
        夜も少しも休息することができず、結局たいへん深い悲
     しみに陥りました。          (自
5-7
        

テ レ サ の 大 誓 願

  こうしてテレサが25歳のとき、西暦1540年、彼女はやっと病気から逃
れることができた。彼女は「神に感謝をささげました」と申し述べるが、こ
れはひとえに彼女の信仰と持って生まれた徳性がそう書かせるので、実
態はその心境からはほど遠く、いまや彼女には人生のすべてが手の届く
距離にはないことを嫌というほど味わわされていたにちがいない。

     人間であれば楽しみたい快楽とは隔絶され、
     父との絆は金の力で切り離され、
     来るべき伴侶は来たらず、
     頼みの綱とする神の憐みでさえ病中の彼女には届かなかった。

   つまり、彼女の面倒を見るものは誰もいないように見えたのだ。

          私には、なぜ私たちがこの地上に生きていたいと望むのかわ
         かりません。地上ではすべてが、こんなにも不確実なのですか
         ら!                                       (自6-9)

 筆者の私見だが、この時点でテレサは大誓願を立てたのだと思われ
る。「神は果たして存在するのか」、「神は果たして私を救うのか」、私は
これを解明する、と腹に決めたのだ。

 彼女の置かれた立場を考えてみても、それ以外に目標の立てようがな
い。選択することの許されない命題だけが、彼女の肝(きも)に印銘され
てしまったもののようだ。

写真:聖ご託身修道院
     撮影は1997年2月。

 23歳のときに病気はピークをむかえ、瀕死状態となる。

          四月以来、苦しみ続け、しかも終りの三ヶ月がいちばん激しう
        ございましたが……                             (自5-9)
 
          わたしの修道院ではもう一日半前から私の遺骸を入れる墓を
        掘ってしまいました。                           (自5-10)

          この四日間の発作ののち、私は実にひどいありさまとなり、そ
        の時感じた堪えがたい苦痛と申しましたら、それはただ神のみ知
        ることがおできになるほどのものでした。舌は、あまり噛んだため
        にずたずたになってしまいました。この間、何も食物をとりません
        でしたので衰弱は、はなはだしく、息をすることもできず、喉はあ
        まりひどく渇ききったために、わずかの水すら飲み下すことがで
        きませんでした。体中の骨がはずれてしまったかのようでしたし
、        頭はすっかり混乱していました。私は糸毬(いとだま)のようにま
        るまってしまいました。それはこの数日間のこのように激しい苦し
        みの結果でした。手伝ってもらわぬかぎり、腕も、足も、手も、頭
        も動かすことができず、まるで死んだ者のようでした。ただ右手
        中がひどく痛んでいたので、さわられるのに堪えられなかったか
        らです。それで体の位置を変えるためには、シーツを使って、ふ
        たりの人がその両端をもって、私を置き上らせねばなりませんで
         した。この状態はご復活の主日(1539年)まで続きました。
                                                                            (自6-1)

          その時、私は修道院に帰りたい望みが、あまりにも激しくなっ
         て、こんな状態のままで連れもどってもらいました。こうして人々
         は死人を迎えるつもりで待っていたのに生きた人を迎えたので
         した。とはいえ、私のからだは、……もう骨ばかりとなっていまし
         た。
          この状態は八ヶ月続きましたが、三年近くの間、だんだんと、
         よくなって行くのを感じながらも、身体不随でした。それで、地を
         はうことができはじめた時、神に感謝をささげました。
                                                    (自6-2)

写真:アヴィラの城壁
        撮影は1997年2月。